人間にとって本当に幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。
ギリギリの状態に何度も追い込まれた人でないと、直感力は働かない。最近の若い人には優秀な人材がたくさんいますが、ギリギリまで追い詰められたという経験がないから、直感力がないんじゃないかと思います。
豊かさというのは、直感力を奪うんですね。豊かになるのはいいことですが、これまでの歴史を見ても、豊かさを極めた国は滅びています。
人として間違った道はありますよね。王道、つまりまっすぐな道を歩く途中で、失敗したり迷ったりすることはありますが、軸がぶれるとダメですね。
失敗を恐れず前を向いて進んでください。足元ばかり見ていても、成功はありません。胸を張って未来を見据え、心を世界に開くことが大切です。
極限の状況を乗り越えられるのは、「この先にもっと面白いことがあるぞ」と思えるからでしょう。
個性と個性がぶつかり合う中でこそ、新しい発想が生まれます。個性のない者同士がいくら意見を交わしても、そこから生まれてくるものは何もありません。
私の場合は建築が専門ですが、それぞれの専門分野において、自分の腑に落ちるまでものごとを突き詰めて考えてきたかということが大事です。
いまの世の中には、社会が面白くないといって現実から目を背けている若者が多いようです。しかし、たとえどんなことがあっても、一度、極限まで突き詰めてみるべきだと思います。そうして自分をギリギリにまで追い込むことで、冷静な判断力と、常に平常心を保つ精神力を養うことができます。
人間、極限まで追い込まれてはじめてたどり着く境地があります。ひとたびその境地を経験した人は、些末な事柄にとらわれない、大局的な視野を持つことができ、どんなときでも平常心を保つことができるようになるのだと思います。
最初は誰も相手にしてくれませんでした。社会が認めてくれない。事務所を開いても仕事がない。「今月は生きていけるだろうか?」という、常に追い込まれた状態の中で仕事を続けてきました。しかし、その経験をしたことで、多少のことでは動じない平常心を身に着けることができました。
本来、人間というものは、信頼関係がなければものごとを進めることができないものです。利害のみにとらわれることなく、平常心で子供心をぶつけ合うからこそ、信頼関係ができるのです。
変化の激しい国際環境には、「組織の部品」ではなく、「責任ある個人」でなければ対応できません。確固とした自己を持たない人が、外国でのビジネスで相手にされるわけがありません。
どんなに苦しくても、自分の頭で必死に考え、自分の意見を言えるようにすることが必要だと思います。判断を人に任せていては絶対に伸びません。
どんな仕事でも一流になるために最も大切だと思うのは、「いまに安心しない」ことです。「いまのままではいいと思わないけれど、まあ仕方ないか」と現状に甘んじてしまったら、絶対に成長していきません。
私は現在、韓国で3つの建築を手掛けていますが、ダメなものはダメとはっきり言います。それで最初は扱いにくい日本人だと思われていたようですが、こちらが本気だということが相手に伝わってからは、逆にいい関係で仕事ができるようになりました。
外国で仕事をするとき、たいていの日本人は自分を殺して、ひたすら丁寧に振る舞うことで友好関係を保とうとします。これじゃ、真の対話にはならないし、かえって相手に信用されません。
いま、私が自信をもってものを言えるのも、若いうちに死に物狂いで勉強したからです。日本の若い人を見ていると、この死に物狂いで勉強するという経験が、どうも足りないような気がしてなりません。
若いころアルバイトで設計をやり、そのバイト料でヨーロッパに行って、いろいろな建築物を見て歩きました。1日15時間、50km近く歩いていましたね。歩いている間はずっと、直前に見た建築のことを考えているんです。
私は高校も建築科ではないし、大学にも進めなかったので、すべて独学です。京大や阪大にいって、そこの学生が4年間で勉強する教科書を全部買ってきて、1年ですべて読むことにしました。毎日、朝9時から翌朝4時まで机に向かっていましたから、その1年間は、家から出ていないんです。まあ、読んだというのと理解したというのは微妙に違うんですけどね(笑)。
日本にいると危ない。ある一定レベルを超えると、急に結果責任が甘くなりますからこの国は。だから私は、常に現状に満足せず、新しい情報を吸収するように心がけています。
持続が大事だということは建築写真家の二川幸夫さんも言っています。「ポッと出て5年もつ奴はいる。10年もたてば建築家らしくなる。でも、30年もたたなければ、自分は建築家と認めない」と。30年トップクラスで活躍できる人というのは、本当に少ないですね。
いまは常識というものが次々と崩れています。常識を疑い、自ら新たなルールをつくる。現代を生き抜くには、そんな気構えが必要でしょう。
一流大学だろうが、専門学校出だろうが、中卒だろうが、いまの時代、誰も人生を保証されていません。一人一人が、目の前の白いキャンバスに自分で絵を描かなければなりません。にもかかわらず、依然として一流大学に幻想を抱いている人がたくさんいます。一流大学を卒業すれば安泰な人生が送れるという時代ではなくなったのにね。
外国人と仕事すると、日本人のレベルの高さを実感します。まず向こうは工程の管理がきちんとしていない。工程管理がずさんだと、建物の品質にも影響が出ます。だから、海外での仕事は難しい。それと向き合うことが自分を高めることにつながると信じているので、逃げずに立ち向かっていきますけど。
私の場合は、海外の施主はすべて外国人です。パートナーを組む設計会社や建築会社も外国企業です。相手が日本人でないから、意思疎通は上手くいかないし、当然リスクも高いです。でも、そういう緊張感の中で仕事をしなければ自分が向上しないでしょう。日本人同士で仕事をすれば安全かもしれませんが、それで鍛えられることはありません。
市民の声を聞く政治家が必要なように、社員の声を聞くトップが必要です。声に耳を傾けないトップは、都合のいいところだけ聞いています。上司に対してものを言いづらい社員から、意見をうまく引き出し、それをもとに決断していく。これがトップとして当たり前なのに、偉くなったら上から下へドーンとトップダウン。だから売上、利益一辺倒になってくる。
とにかく、自分の仕事でギリギリまで追い込まれる必要があります。それぞれの仕事を四六時中考える。昔の人は、寝る直前まで仕事のことを考えたし、朝起きた直後から仕事のことを考えていましたよ。でも最近の若い人は、職場の机を離れたら仕事のことなど忘れてしまう。大手企業ならいいかもしれませんが、中小企業はボスが倒れたら全員失業です。にもかかわらず、仕事のことを考えない。残念です……。
企業が保育所をつくると、その分お金はかかりますが、少なくとも少子化を食い止める手助けにはなります。それぞれの企業が、自分たちのできる範囲で投資をすればいいのに、ほとんどしないから保育所が足りなくなっている。私が東急渋谷駅と上野毛駅の設計を手がけたとき、「駅に託児所をつくってくださいよ」とお願いしました。そうやって、誰もができることをやって少子化をカバーしていく、サポートしていくということがなければ、社会は元気になりません。企業がお金を貯め込んでいるという状況は、喜ばしいことではありませんよ。