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結果と法則(ⅱ) James Allen
私たちは、過ちや苦しみ、問題の種が、自分自身にあるという事実に目覚めるべきです。自分の未熟さが、自分を苦しめる現実を創り出しているということを理解していきましょう。そして、その現実を受けとめつつも、生き生きと存分に生きていくことです。苦悩をもたらすのは、ほかの誰でもなく、自分自身の犯した過ちなのです。

人生は、不成功のまま終わることはありません。そもそも、人生に失敗などないのです。誰にも、人生の部分的な失敗はつきものです。しかし、そうした失敗は、人生全体をもっと強く完璧にするために、自分の弱さや未熟さが、一連のできごとと関係して引き起こしているものだと考えるべきでしょう。

人生は、あなたが経験することを受け入れるにつれて、その厳しさが軽くなっていくものです。人生のすべての経験を、自分自身を向上させていく材料にできるようになったとき、あなたは苦しみや痛みを心から遠ざけることができます。

人は、甘えて弱い立場でいようとする限り、しきりに望みながら嘆き、過ちを重ね、心に悔いを残して生き続けてしまいます。しかし、胸の内の暗闇を振り払い、立ち上がろうとする気持ちが起きた瞬間から、人は「最高の人生」の実現に向けて行動しているものです。

貧困や苦難などの厳しい状況の中でも穏やかさを保ち続けるには、動物的な勇猛さよりも、毅然とした気高い勇気が必要です。それは、相手を圧倒する強さとは別の、自分自身を律する強さです。その毅然とした精神の強さは、信念とともにあるものです。

自分の弱さは、自分で克服するしかありません。その弱さと不運を招いているのは、自分自身の利己心だからです。あなたを貶(おとし)めるふとどきな悪魔を、心から追い払うことです。

弱さも過ちも、エネルギーの方向とパワーの使い方を間違えているだけです。過ちを繰り返す人は、弱いどころか、自分の意思を実現するだけの強さを持っているということです。ただ、正しいルールに沿った方向で、能力を発揮することを知らないだけなのです。

わけもわからずに人の意見や考えを信じ込んだり、勝手な理論を真に受けることは、馬鹿げた過ちを犯しているのと同じです。正しいか正しくないかの判断ができない曇った心の目しか持たない人は、不運なできごとから無知な妄想を展開したり、正しい道理から外れた着想でものごとを捉えたりします。こうした妄想ほどやっかいなものはありません。この世に存在しない恐怖の怪物を、自分で創り出してこわがっているようなものです。

多くの人にとっては、うんざりするような義務的な仕事や役割でも、心穏やかな人は、自分の任務として喜んでやり遂げます。ありのままに真実を受け取る人には、「義務」の中に本来の使命が見えています。使命を果たすことが、自分の歓びになります。そうであれば、義務と喜びを切り離すことができないのは当然です。

知識を高めていくのが、謙虚さです。謙虚な気持ちも、口先だけの言い分や根拠のない憶測を取り去ったところに生まれるものです。

知性を高めていくには、現実と思い込みを明確に区別しなければなりません。さらに、自分の知識の範囲を自覚していくことが必要です。この世界について、人生について、自分自身について、今の自分が何を知っていて、何を知らないかを、知っていく必要があります。そして、単に「信じていること」と実際に「知っていること」、「思い込み」と「事実」を見分けることを覚えていきましょう。

学ぶことそのものは、価値のあることです。しかし、学んでいるということ、知識があるということにプライドを持っていても価値は生まれません。知識は、自分を成長させ、実際に役立たせることで、生きたパワーになります。謙虚な心とともにあることで、パワフルな道具になるもの、それが知識です。

優しさにしても、単に温和で親切なだけでは不充分です。「なぜ、自分は優しくしているのか」と考える理性を持って、「本当の優しさとは何か」ということを理解していく必要があります。









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by stylejapan | 2018-08-28 22:18 | 生活創造プロジェクト
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