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長幼の序
年上のほうが偉い、年上の方がすぐれていて序列の上に立たなければならないという社会では時代の変化を乗り切れない。しかし、このことは、アイデンティティが確立していない人にとっては都合の良いことかもしれない。

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小学校や中学校ではひとつ上だけでもずいぶん偉そうにするものである。学校では年齢序列で秩序をつくっていた。目上の者が率いるという規律が、学校組織において都合が良かったのだろう。


年齢序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年齢序列はない。彼らからも理解できないという。徳川幕府にも年齢序列はなかった。年齢序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、明治時代に官僚制度ができたとき原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。しかし、年長者に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、経済が成長し、若者が増え続けるときだけである。

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年齢序列の秩序というものはその根拠や理由を問えば、血液型性格診断と同様にあまり正当性のない偏見でしかないことがわかる。学校の成績でいえば年上の者が絶対的に良かったということはありえないのであり、年上で年下の者よりいくらでも低い者がいる。スポーツでも先輩より年下の者のほうが業績や成績をあげる例はいくらでもある。仕事の業績や経験は年上の者が優る例も多いだろうが、年下のほうがはるかに業績をあげたり、優れているといったこともあるだろう。仕事においては時代感覚との合致が求められるのは言うまでもない。

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年上のなにが偉いのか。年上だったらなにが優れているのか。年をとれば年下に絶対に負けない業績や成績を生み出せるのか。年をとれば自然にリーダーや役職にふさわしい性格や能力が身につくのか。年上は偉そうにしなければならないという自然の思い込みを問い直してみる必要がある。年齢序列では社会の流動性は生まれず、チャレンジが起こらない社会になってしまう。年齢序列というのは近代の社会が当時の都合で教え込んできた単なる偏見や思い込みにすぎないという理解が、地域や組織の活性化には不可欠だと思う。サッカー選手や野球選手が海外チームで活き活きしている理由もここにある。










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by stylejapan | 2015-02-17 09:40 | 地域再生
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