地方と都会にはさまざまな格差があるが、そのひとつに時代が読めない人がリーダーとして存在していたりする。
ある意味では、その人も地域性のメカニズムの被害者かもしれないが、仕事は何のためにしているのか?自らが変化の激しい社会の中での役割を十分に果たせないにもかかわらず、精神論ばかり語り、虚勢を張るしかやることがなくなってしまうことであれば、自己実現を求める周囲の人にとってのマイナス環境でしかない。
その影響は、瞬発力、発想の柔軟さ、考えの実直さなど、若い人たちが主に持つ特質に敬意を払えないという症状として現れる。そこで勝負すると必ず負けるという無意識による、防衛反応から虚勢を張るようになるのだろう。
しかし、自分自身が幸せになるためには周囲の人との人間関係は切り離せない事、自分自身と対峙できる自我を確立する事を現代の日本人は時代から求められているはずである。
近年、都会ではさまざまな企業や組織においてリーダーの交代が進んでいったが、そこには、事業運営をスムーズに進めるためのPDCAサイクルなどがうまく機能し、問題点を日常の中で是正していくシステムが普及していったことにより、虚勢を張るしか出来ない人たちを後退させたのではないだろうか。
PDCAサイクルが上手く機能するかは、それを運用する人々次第だが、問題の抽出と課題設定に問題なければ、不合理な地域性のメカニズムを減退させれるかもしれない。
ちなみに山形県、奈良県では、県政において運用している。
➡
*山形県
➡*
奈良県
P:Plan=計画
D:Do=実施
C:Check=検証
A:Action=改善し次の行動へ
上記のサイクルにより、業務を改善しつつ進めていくという考え方を表したものだが、大切なことは、「同じところをグルグルと回らないこと」である。
時代の変化に取り残されないためには、PDCAのサイクルも必然的に速く回していく必要がある。PDCAを回す回数が少ないということは、決断してきた数も少ないということになる。つまり、実行力に乏しいということが明らかになるだろう。
「失敗しない」ことが最優先される風土の中においては、PDCAを回しながら螺旋状に上昇していった経験はないと断言できる。アインシュタインは、「ミスを犯さなかった人は何も新しいことに挑戦しなかったに過ぎない」と述べているが、地方の活性化において求められているのは新たな価値を創造することであり、目に見えやすい成果を挙げようとして、PDCAのプロセスを踏まないスタンスは地方社会の衰退に歯止めがかからない負の効果を与えることとなる。
情報化社会の進展は、地方に対しても都会と同程度の時代への理解を求めてくるが、時代の変化に対応できる人材が中心になって活躍できる風土づくりのためには、プロセスを踏んで継続的に進化していく手法の構築が課題ではないだろうか。