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協力し合って働く
阪神・淡路大震災では警察や消防機関による被災者救助が中々追いつかず、要救助者35000人のうち、27000人は市民自身の力を得て救助された。この震災を契機として神戸市では地域全体の自律と連帯が不可欠であるという認識が拡がり、自助・共助・公助による街づくりが推進されることとなったが、まだまだ充分とは言えない。日本全国の地域を見渡しても、本格的に行政と民間とが“協働”を推進している事例はほとんど無いのではと思う。

協働の概念は、アメリカのインディアナ大学の政治学教授ヴィンセント・オストロムによって生み出された。その概念の内容は次の二点である。まず第一点、公共サービスの生産供給側は、行政の役割とされているが、行政だけ主体となってその役割を一元的に果たしていくと、その生産性向上には限界を生じ、結果的には生産性向上は図れなくなること。 第二点は、公共サービスの生産過程には「正規の生産者=公務員」と「消費者生産者=公共サービスを消費する一般市民」が協力・連携することが生産的向上が図られるとある。

地域の再生における協働の主体は、市民である。市民とは必ずしも地域住民に限定されるものではなく、企業などの企業市民も含まれ、また、地域の一員という意味では行政もまた行政市民という名の市民である。 協働は責任と行動において相互に対等であることが不可欠であり、行政も地域の一員として、市民の目線で協働に携わることが望ましいとされる。 故に協働とは、あらゆる市民が相互に連携し主体的に誇りの持てる地域社会の実現に向けて寄与していくことが本義であるといえる。

これらを現実化していく上での課題は、「ムラ社会」と「甘えの体質」だと思う。これらは以前から日本社会の特質とされてきたが、それを乗り越えるための手法の確立に僕は関心を持っている。

地場産業や商店街の活性化と言えども、その中心となるのは「個」の活性化であり、その実現のためにはそれぞれが自分と向き合うプロセスを経て「個」の確立に向けての覚悟を培い、自立した「個」同士が地域や立場を越えて切磋琢磨して互いを高め合い、尊敬し合う状況によってしか、上記の課題は克服出来ないと考えている。

僕の場合は、そのようなネットワークの確立とその礎となるプラットフォーム形成の手法に関心を持ちながら、地方社会に関わっている。
by stylejapan | 2013-01-19 07:42 | 地域再生
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