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想いの背景
昔、化粧品で、無添加、無鉱物原料が声高に訴求されたことがあった。
それらが増幅され、アンチ化学を前面に押し立てて健康不安を煽る記事がまことしやかに雑誌の紙面を賑やかせた。

無添加、無農薬・・・何がその動機づけなのだろうか。
生活文化も科学も、哲学もその進化にはいきさつがあるはずだ。
それらを無視したかたちで急に大義を得たかのように“無添加”、“無農薬”には無理があると思う。
過去の伝統農法ではなくて、現代はどうするかに全力を出して分析すべきではないだろうか。
また過去がどうであったかは、現代人には本来分かりようがないはずである。課題は現代の環境に対する見識が重要ではないか。

もともと植物には、種子や実、若芽が動物や昆虫や鳥類などの餌となることを抑止する目的で天然毒を生成するものも多い。ジャガイモのソラニン、青梅のアミグダリンや、人間にとっては毒性が弱く逆にそれによって免疫力を高めてくれる貝割れのイソチオシアネートなどがある。

天然毒以外にも堅い皮や棘などで武装することで食べられることを回避してきた。
ところが、それらは食料を確保したい人間にとっては都合が悪いために、農業文化によって、あるいは料理文化によって、植物からこれらの防御機構を無いものにしてきた経緯がある。
例えば、ナスなども本来はアルカロイドを含むものが多かったが、無毒化し、さらに栄養価の高いものにしてきた。
このことは植物にとっては丸裸にされたも同然の状態であるために、害虫がつくのも当然である。そこで農薬の出現となる。

それらの野菜を無農薬で育てると、野菜は本来持っていた外敵に対する防御機構を再び利用しなければならなくなってしまうかもしれない。この防御機構に使われる物質が有害な物質であることもありえるだろう。

また無農薬の問題としてカビ毒の危険性も挙げられる。
農薬を使わないことによりカビが生えると、そのカビが作る毒素によりむしろ危険性が高まることがあるかもしれない。

確かに農薬が違法な量使われると人体に危険となることもあるが、現在の農薬の使用基準は安全性を考えた量・種類の仕様しか許されておらずそれを守っている限りはむしろ安全と言えるだろう。

どちらにしても“無添加”、“無農薬”の背景が何であるかだ。
買う側も自分が高いお金を出して買うのは勝手であるが、すべての農家に“無農薬”を押し付けることになれば、私たちは大きな過ちを起こすことになるだろう。

また、この流れが不安を煽ってのビジネスであってはならないと思う。
なぜなら食文化こそは、一部の恣意的な人間によって操作されるべきではないと考えるからだ。
by stylejapan | 2011-01-08 12:11 | 生活創造プロジェクト
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