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漢方薬の保険適応について、ひとりの医師の意見
私はいきなり保険を切ることには賛成しません。しかしこのまま漫然と使い続ける状況が続いていいはずがありません。そもそもわれわれ医師は漢方の教育を殆ど全く受けていません。”自称漢方もできますよ医”という方々もどれだけ時間を費やして漢方の概念を学び経験豊かな指導者の下で修行を積んだか定かではありません。1年を漢方の修練だけに費やしたと言う自称漢方医がどれだけいるのでしょうか?1年だけでも足りないことは明らかですが。ちゃんと使えるはずのない者に使用許可を与える方の責任感の無さも問題ですがそれに甘えきり、まともな知識・経験もなく「漢方医」を名乗っている医師に漢方を使わせても製薬会社以外はだれも利益を得ることは無いでしょう。例え一部の漢方薬に薬効があってもこの無法地帯ではまともな治験も行うことすら難しいかもしれません。私は漢方には全く別の教育制度(漢方学部)と免許を整備して免許のある人間のみが使えるようにするか、医学部を1年延ばして国家試験に漢方を組み込む程度の改革が必要だと思っています。保険が切られることにより能力の無い多くの漢方医が淘汰され漢方医療の質の向上は望めると思いますが、能力のある漢方医の方々まで影響を受けるのはフェアではないと思います。
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# by stylejapan | 2009-12-04 10:43 | OTC医薬品の開発
ヴェイディミーカン. ショールーム ナンバー2 ギャラリーショップ + カフェ × 大和茶
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ファッション、建築、アート・・・幅広く活躍するアーティスト・ブランドとChanoukers(茶農家)のコラボレーションです。
シンプルで洗練された空間が、茶農家の方たちの新たな舞台です。
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さらに、今回は有名な英国人パティシエPeter Broadhurstが大和茶のために特別な御茶菓子を用意・・・

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会  場:VADE MECVM. Showroom #2 Gallery Shop + Cafe
ヴェイディ ミーカン. ショールーム ナンバー 2 ギャラリーショップ + カフェ

営業時間:8:00 ~ 19:00 水曜日定休
住  所:大阪市西区京町堀1-13-21 高木ビル1階奥
アクセス:下鉄四ツ橋線 肥後橋駅 7番出口または、本町駅 28番出口 より徒歩10分
TEL:06-6447-1335
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# by stylejapan | 2009-10-12 11:52 | 茶業界の活性化
商店街の活性化策は個店の活性化
何事も想いが無ければ活性化にはほど遠い。また何事も想いを現実化するには弛まぬ努力、リスクを跳ね返す強い心の持ち方も欠かせない。

小売り業は商品を仕入れて売ることを生業にしている。どこにどんな商品があるか足を棒にしてを探し回り、どの商品を仕入れるかを自分で決めるのが仕事である。しかし、ほとんどの小売業は惰性で追加仕入れを行い、自分で新たな商品を探していない。
取引先が紹介する商品の中から選択をし、仕入れる商品を決めている。これでは、仕事に対する想いがあるとは言えない。

当然、その取引先はほかの小売業にも同じように商品を紹介し、選ばさせている。だから、どこの小売業にも同じような商品が並ぶようになるのである。これでは、面積や数で勝る大型店やチェーン店と競うことは不可能だ。また、買物という行為の別の側面である気分転換や楽しい発見にはつながらない。

余所を見て刺激を受けて、何かを真似るぐらいでは消費者の心はつかめないだろう。原点に戻って、想いを整理した上で足を棒にして、お客さんの代わりに商品を探すことにウェートを置くべきだ。

商いの原点は、仕入れにある。そして、そこにはリスクがある。しかし、それを乗り越えたチャレンジにお客様の心が動くのである。店をやっている人なら本来分かるはずである。
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# by stylejapan | 2009-10-07 10:42 | 商店街の活性化
刺子織/三河木綿
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道着用刺子織を用いた製品開発

日本の伝統文化からすれば、自分の精神的価値を探究することを「道」といいますが、それらは武士道のなかに最もよく見ることができます。
今の時代を見ていると、豊かな社会は私たちの生き方を多様にしましたが、将来の自分が見えにくい時代かも しれません。武道の経験のない方にも、その精神を日常生活の中で想い起こして頂けないものかと考え、自分らしさの探究をブランドコンセプトにしました。

情報化社会と言われるなか、便利さや快適さを追い求めたとしても、私たちは自分自身を見失ってはならないのです。今日のような時代にこそ、自分を探究できる武道の素晴らしさを伝えていければとも考えています。

しかし武道のみが、その気概を養うというのではないことを私たちは分かっています。ダンスやスポーツであっても、音楽や料理であっても、仕事や家事であっても、それら以外のほかのものごとであっても、それらを通しての自分自身の探求によって、そうした気概を鍛錬することが出来ることは言うまでもありません。

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# by stylejapan | 2009-10-04 19:53 | 地場産業の活性化
東大寺薬湯
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東大寺薬湯の製品化について

東大寺は奈良時代に聖武天皇が国力を尽くして建立された。光明皇后は医療施設として施薬院を設け現在に至る。薬は仏教の伝来とともにわが国に伝わったが、中でも薬湯は重源上人に東大寺の復興造営の際、用材を伐りだす杣仕事に従事した人々のからだの疲れ、打ち身、くじきなどの治療ために用いられ35箇所の石風呂が現在の山口県徳地町で造られた。薪で熱く焼いた石の上に濡れむしろ、薬草、ござを敷き衣服のままで寝ころぶ、いわばミストサウナだ。現在も修行で荒れた肌の修復や疲労回復のために入浴剤として薬草を用いる。この伝統をパッケージングした。

薬湯に込められた想い

日本の伝統的医療では、病因を3つに分類する。感情の持ち方やストレスによる内因、細菌やウイルスによる外因、生活習慣による不内外因だ。そして治療において養生と仏教、神道の3つの知恵を活かしてあたる。特に内因の治療には文化的な知恵が大きな役割を果たした。「あの世があると思う」は文化(知恵)であり「あの世がないと思う」は文明(知識)とすると、知識偏重で生きていると気が滅入り病になるという考え。現在は西洋医学の考えが主流だが、平城京が遷都された当時の健康を願う知恵を再登場させて、誰もが本来持っている、病と闘い、治す力(自然治癒力)を高め、身体を整えることを基本にしている漢方の知恵を東大寺薬湯として製品化。

取組みのきっかけ

今の時代、健康に対する関心は高いなか、日本の伝統的医療に目を向けて、その中でも誰もが家庭で手軽に実践できる薬湯に着目した。

奈良には県民に愛されると同時に手土産として買い求められる商品が少ないので、東大寺を中心に皆に親しまれる場所で販売して頂きたい。同時に地場産業として製薬の伝統が続く県内企業の地域貢献になるとともに、現代人のライフスタイルの中での薬のあり方を追求しながら生活者の健康生活に寄与する発想を養っていきたい。

デザインする上での考え

仏教のイメージは葬儀にまつわるものが強いが、本来は「今をどう生きるか」がテーマである。前述のように「知恵を活かして自由に生きる」がコンセプトと云えるかもしれない。内省的な部分がウエイトを占めるので、何かを与えないデザインを心掛けた。
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# by stylejapan | 2009-10-04 19:38 | OTC医薬品の開発
利便性や経済性だけでは語れない医薬品
OTC薬開発プロジェクトの特別委員を御願いしている日本薬学会会頭の東大・松木教授の意見です。


 残念ながら医薬品は未熟な商品です(以前は、“欠陥商品”という表現を使用していましたが過激すぎるとの指摘をうけたのでやめました)。他の製品であれば、いつどこで誰が購入し、いつどこで誰が使用しても同じように使えます(機能します)。安全面についても製造者の責任が問われ、製品への安全対策がどんどん進んでいます。加熱や過電流(電熱製品など)、空焚きや不完全燃焼(風呂や湯沸かしなど)、地震時の転倒(ストーブなど)、などの危険な事態が想定される場合には、最悪の事態を想定して、センサーをつけ安全装置を作動させるなどの対処をしています。こうした製品の場合には、安価(経済性)で簡単に入手できる(利便性)ことが好まれます。さらに、電気製品の性能はほとんどの場合に一目瞭然です。

 ところが医薬品の場合はどうでしょう。理論的に、副作用が全くない医薬品はありえず、適正に使用することが不可欠です。しかも、センサーがついていないので、不適切な使用をし、副作用が起ころうとしていても警告などはありません。また、ほとんどの場合に、効いたかどうかは一般の人には直ぐには判断できません。さらにやっかいなのは、適正に使用したとしても副作用や好ましくない作用がゼロではないということです。


 「いつも使用している薬なので安心」とか「常に効果がある」という利用者の声をネット販売業者は取り上げています。しかし、こうした場合にも、単に使用者が”効いた”と思っているだけの可能性があります。何か特殊な理由がない限り、一般用医薬品を恒常的に使用しなければならないような疾患は想定できませんし、常に同じような効果が期待できることも考えにくい状況です。他の疾病が隠蔽されていたり、新たな副作用を引き起こしてしまっている可能性がありますので、こうした人こそ医師や薬剤師に相談すべきです。


 手軽に購入したい医薬品の例として、総合感冒薬(かぜ薬)がよく取り上げられます。風邪薬も配合薬(複数の成分で構成されている)であり安易に使用すべきではありません。スティーブンス・ジョンソン症候群や中毒性表皮壊死症など科学的に十分に解明されていない重篤な副作用もあります。利便性や経済性だけで医薬品を語っている人は、薬害被害者団体の声をどう受け止めているのでしょうか?副作用被害防止などの育薬やセルフメディケーションに対する国民への啓蒙に貢献せずに、利益の部分だけを守銭奴のように追求することは、医薬品には馴染みませんし、そうした業者は医療から排除すべきです。
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# by stylejapan | 2009-09-30 09:57 | OTC医薬品の開発
和田 智さんの意見に同感です。 ≪デザインが失った「謙虚さ」≫
その道にハートはあるのか?
デザインが失った「謙虚さ」
 和田 智


「いかなる道もひとつの道にすぎない。心(ハート)に従うかぎり、道を中断してもさげすむ必要はない…。あらゆる道を慎重によく見ることだ。必要とあらば何回でもやってみるがいい。そして自分に、ただ自分ひとりにつぎのように尋ねてみるのだ。この道に心(ハート)はあるかと。心(ハート)があればいい道だし、なければ、その道を行く必要はない」(カルロス・カスタネダ『呪術師と私―ドン・ファンの教え』)

 もう30年近い昔の話ですが、美大に入りデザインのデの字もわかっていない時、恩師ともいえる先輩の本棚から一冊の本を発見しました。現代科学と東洋思想の統合をはかったF・カプラの『タオ自然学』です。

 ブラジル生まれの作家、カルロス・カスタネダからの強烈な引用文でこの本は始まります。私はその発想やそれを取り囲む環境に大いに興味をもちました。

 美大を卒業した後、私は一カーデザイナーとしてその創造活動をスタートしたわけですが、純粋にデザインを考えれば考えるほど「何か本質とは違う」と次第に感じるようになりました。担当していたのは主に日本市場に向けたクルマのデザインの仕事です。

 決して日本のマーケットを否定するつもりはありませんが、クルマの本来のあり方や良さ、人との関係といった本質的な側面が欠如していることに気づき始めたのです。

製品の感動は薄れ続ける

 デザインの質とは社会やその社会の消費の質そのものです。デザインの本質的な狙いは物質的な豊かさではなく、精神的な豊かさだと誰もが分かっていてもそれは歪んだ理想論でしかありません。

 日本にはモノがありすぎます。多すぎて消費者はモノの価値に麻痺しているように見えます。それでも競争社会の原理は悪化するばかり。製品の感動はどんどん薄れ、デザイナーは違いを求めてオーバーヒートする。つくって、つくって、つくって…。分かっていても止めることのできない構造が出来上がってしまったのです。

 モノがありすぎるということはデザインの基本的な目的から逆行しているとも言えます。では日本にはもはや健全なデザイン環境は存在しないのでしょうか。

大きな問題は現代社会における企業のあり方です。高度化した消費経済の体系でのモノづくりでは、デザインは企業の生き残り競争の最後の目玉となります。だからこそ他とは違った商品を常に求め、デザインを起爆剤とするようになる。

 もちろんこの消費社会のすべてを否定するわけではありません。このような社会でも、このような社会であるからこそデザインのやるべき事はいっぱいあるはずなのです。

 社会に善と悪があるように、デザインにも善と悪があると思います。私はこの歪んだ消費社会の最右翼たる自動車産業でデザインを行ってきました。客観的に見れば問題だらけです。技術だけではどうしようもないと知っていても、さらなる新しい技術で立ち向かおうとします。

 東京やロサンゼルスにいると、よく「今時の若者はクルマにあまり興味がない」という話を聞きます。まだクルマが大好きな人が多い欧州ではやや事情は異なりますが、昨今の急激な金融崩壊から暗雲が立ちこめているのは確かです。多くの人はクルマ産業に、さらには製造業そのものに興味をなくしつつあるのではないでしょうか。

 様々な産業がビジョンを失いつつあるのは、人が何かを生み出そうとする純粋性が失われたことだけが理由ではありません。モノ作りが金融に支配されてしまったため、「なぜ我々はモノをつくっているのか」という本質的な意味を失ってしまっているのではないかと感じます。

 金融支配という意味は、デザインが金融に支配されるということです。デザインとはいつの時代も目的に応じて振る舞いが変わります。我々はお金のもとで生活を営んでいますが、お金のために生きているわけではありません。

人の「こころ」こそデザインの核心

 しかしお金が目的となれば、すべてそれに従わなければいけないシステムができてしまう。まさしく人間性の崩壊です。会社にいても、学校においても、どこにおいても人は人を超えようとするようになり、そのモチベーションを利用して会社は人を駆り立て、最終目的であるナンバー1になろうとするのです。しかしそのナンバー1にいったい何の意味があるのでしょうか。

 欧州の企業ではいまだに貴族と使用人といった感覚で会社経営が行われているところもあります。そんな会社でも今や金融支配の中、食うか食われるかの戦いです。CNNなどでも比喩されているようなBusiness Warです。

 会社に入ればデザイナーはビジネスにおける兵士です。私もその1人だったはずです。会社の方針に基づいて兵士は戦い始めます。それが繰り返されると元々持っていた「何かを生み出そう」という純粋性は影を潜め、会社の中でも勝つためにデザインするようになります。インハウスデザイナーがもたらす大きな問題です。

 会社の中では多かれ少なかれこんな状況ではないでしょうか。うまく利用された競争心理はデザイナーが持つ真理まで取り去ってしまったとのかもしれません。現代ビジネスは人は殺さない戦争ごっこです。私はこのビジネススタイルに大いに疑問を感じています。

 今、大切な事は社会や人に真の「こころ」を創造できるかということです。ある人は現実離れした課題と言うでしょう。でも私は人のこころ、ハートを信じているのです。それがデザインの核心であり,デザイナーであり続けている理由なのです。

 自分は本当に本当のデザインをしているのか。そんな思いに立った時、私は自問自答します。

 「その道にハート(こころ)はあるのか?」と。

今必要なのは「償いのデザイン」

 世界は今、大きなターニングポイントを迎えています。誰もが厳しい時だからこそ「人にとって何が最も大切か」を考えなければなりません。シンプルでフレキシブルな創造性が必要な時なのです。

 今ある産業や金融は、大きくてなかなか動かせない石のようなものです。我々に必要なものは「水」や「気」といった軽くて美しいデザインです。攻撃的ではいけない。

 必要なものはまず人の意識です。攻撃的なスタンスからはその「水」は創造できません。そしてお金以上の価値を人の心の中に育てる必要があるのです。

 私はかつてあるインタビューの中で、明日のデザインを考えるにあたって1つのキーワードをあげました。

 「償いのデザイン」。これまでのビジネスで育てられた姿勢を改め、人や社会に対して謙虚にデザインを取り組もうとする姿勢です。

 そう思ったのはドイツ、米国で働いた経験からでした。人が人を思うという概念は基本的に西洋社会では薄いように感じます。「個性が強い」と言うと聞こえはいいですが、そのほとんどはエゴと傲慢さ、もっと言えば支配という言葉に入れ替わってしまっています。個性とは人と人の中から生み出されるものであり、人と人の営みを考えなければ個性など存在しないのです。

 私はこれまでの西洋のビジネススタイルを否定するつもりで言っているわけではありません。その歴史的、文化的背景の中、私もお世話になりましたし、大きな経験もさせていただきました。日本、ドイツ、米国で長らく仕事をし、暮らしを営んだ貴重な経験があるからこそ、何かが足りない事により気づいてしまったのです。

 西洋の反対、東洋がいい状況などとは全く言えないでしょう。新しい大市場を持つに至ったアジアに西洋の傲慢な姿勢を持って行くのは危険なことです。未来のアフリカについても同様です。

 先ほども触れましたが、デザインはいつの時でもその目的に応じて色を変えます。今必要とされるのは戦おうとしない謙虚な姿勢です。それこそが本当の創造が必要であるということなのです。デザインの領域だけではありません、どんなビジネス、社会においても必要とされるのではないでしょうか。

 そして、その創造は哲学、精神に応じて営まれます。だからこそ新しい社会にはシンプルでピュアな真理が必要なのです。新しい「こころ」を創造することが、これからの本当のデザインにつながるのです。

 「Why are you designer?(なぜあなたはデザイナーなのか)」。この問いかけが必要なのはデザイナーだけではないはずです。どんな方にも当てはまるのです。そして自問してください。「私にはいったい何ができるのか」と。









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# by stylejapan | 2009-09-29 13:48 | 生活創造プロジェクト
医薬品=薬剤+情報
医薬品とは「目に見える薬剤」に「目に見えない情報」がプラスされては
じめて製品になる。塩酸ジフェンヒドラミンという抗ヒスタミンは医療用ではアレルギー疾患、すなわちヒスタミンを抑え鼻水、かゆみを抑える花粉症や皮膚掻痒症の治療薬であるが、重大な注意事項として「眠気を催すことがあるので、自動車の運転等、危険を伴う機械の操作はしないように」と明記してある。医療用の「副作用」がOTCでは「主作用」になって、週刊誌などが「睡眠改善薬」の画期的な新製品としてとりあげて誤解を生んでいる。この他にブロムワレリル尿素など尿素系の成分を含んでいる製品も同じく、副作用が主作用になるだけで新製品の登場である。  
薬の箱や中に入っている説明書に、「医師、薬剤師に相談してください」と書いてあるが、医師も薬剤師も、いきなり、薬の実物を出されたり、説明書について訊ねられても正確に答えられないことが多い。まして一般の生活者なら間違った選択や使用は日常茶飯事である。
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# by stylejapan | 2009-09-29 01:44 | OTC医薬品の開発
社会に対するOTC医薬品の啓蒙不足
1) 社会に対するOTC医薬品の啓蒙不足~自己責任を求められる消費者の不安

少子高齢化が進む中、健康年齢の伸長や医療費の高騰に対して、政府は「セルフメディケーション」政策を推進しているが、過去に、医薬分業が不完全で医薬品情報の提供も徹底せず、ましてセルフメディケーションに関する情報提供などが十分に行われてこなかったため、セルフメディケーションの考え方が明確な割には社会への浸透が不十分な状況にあると考えられている。すなわち、消費者が自己判断で対処するためには、正確な情報を適切に入手できることが前提条件であるが実態はそうはなっていない。医薬品に関する知識に関しては消費者との間に大きな差が存在するが、だからといって消費者に力をつけさせることが中途半端であってはいけないと考える。


2)消費者と共に歩むことを強く意識したメーカービジネスの試み

セルフメディケーションとは生活者の自己責任によるケアであることを考えれば、積極的に消費者寄りの立場に立った発想を基準にするべきである。メーカーがきちんと製品を作り、薬剤師が「注意して販売」しただけでは、今後ますます認可されるスイッチOTC薬が登場してくると誤用や不適正な使用を防ぐことはより難しくなる。
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# by stylejapan | 2009-09-29 01:41 | OTC医薬品の開発
気について
気は、一身体の内にあまねく行きわたるべし。胸の中一所にあつむ
べからず。怒り、悲しみ、うれひ、思ひ、あれば、胸一所に気とどこほ
りてあつまる。七情の過ぎて滞るは病の生ずる基なり。
貝原益軒の「養生訓」の一節です。我が国をはじめ、東洋の医学では身体の中を循環する「気・血・水」のどれかが停滞していると病の原因になると考えてきました。特に気の循環は感情面と深い関係があることを説明したのが上の一節です。私たちが日常生活において色々な感情を生じさせるのは当り前の生命活動ですが、それらがあまりに激しく偏ったものになったり、長期に及んだりすると、体内システムのバランスを崩し始め、病気の原因にもなると説いています。

①喜びすぎると心臓を傷つける
②怒りすぎると肝を傷つける
③憂慮しすぎると肺、脾を傷つける
④思考がすぎると脾を傷つける
⑤悲しみがすぎると肺を傷つける
⑥恐怖がすぎると腎を傷つける
⑦驚きがすぎると肝、腎、胆を傷つける

いずれも感情が五臓六腑に及ぼす影響について言っています。精神的ストレスが続いて食欲が低下したり、味気ない食事になったり、いま一つ気力がわかない。それが続くと鬱状態になり、いよいよ本物の病に移行する。そうなると、いつまでも「病は気から。」とばかりは言って居られなくなりますよね。感情のコントロールを意識することは、私たちそれぞれにとって、結構、大切なテーマかもしれませんね。
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# by stylejapan | 2009-09-24 08:28 | Selfcareについて
医師による医薬分業の提言
情報公開
医療界はお役所と同様「情報公開」の遅れた業種です。特に薬に関して。インターネットの時代に、自分の飲む薬の名前さえ知らされていないのは、ちょっとおかしいとは思いませんか?薬代を払うのは患者さん自身なのに。薬の副作用の説明をすると患者さんはいらぬ心配をし、治療の妨げとなり、結局患者さん自身のためにならないと、多くのドクターは言います。確かに一理あります。服薬の不安を与えないための一種の「思いやり」でしょう。しかし患者さんのニーズは、ドクターが考えている以上に確実に変わってきています。薬の名前、効果、副作用を親切に説明することが、今後一層求められてくると思います。薬の効能を追求する医療よりも、万が一の副作用を未然に防ぐ事の方が重要な時代がやってくるはずです。もちろん薬の説明はドクター自身がするのもいいでしょう。しかし時間的余裕がないドクターは薬剤師に任せては如何でしょうか。彼らはドクター以上に親切に、上手に説明します。しかも患者さんは、処方したドクターよりも、第三者の薬剤師のほうが質問しやすいと言います。

薬の安全性
多くの医院では、医療事務員あるいは看護婦が調剤しているのが現状ではないでしょうか。調剤ミスは今まで一度もありませんでしたか?私の所では苦い経験があります。やはり薬の専門家の薬剤師のほうが安心です。もちろん薬剤師も人間ですから絶対ミスがないとは言えませんが。診療圏内に何軒かの薬局があるはずです。そこの薬剤師は貴重な人材です。利用しない手はないと思います。又、失礼なことを言ってお許し願いたいのですが、ご自身の処方ミスという事も考えておかなくてはなりません。私自身もありました。私の何人かの友人も正直に告白してくれました。ノーミスの方はむしろ少数派ではないでしょうか。安全を期すには、やはり薬の専門家に処方監査をしてもらうのがよいと思います。患者さんが複数の医療機関にかかっている場合、重複投与や相互作用にも気を付けて処方されていると思います。アレルギーの薬歴管理にも注意されているでしょう。しかし多忙などの理由でなかなか完全にチェックしきれないものです。やはりこれも薬剤師の力を借りればとても心強いものです。

患者さんのための分業
さて、「医薬分業は二度手間で患者さんに迷惑がかかるので踏み切れない。」とおっしゃる方が多いのですが、如何でしょうか?私は発想の転換をして次のように考えています。分業は自分のためにするのだと考えるから躊躇するのでしょう。患者さんのためにするのだと考えれば積極的になれるはずです。もちろん患者さんに喜ばれる医薬分業であって初めて言えることですが。分業が患者さんのメリットになるのであればそれは患者サービスとなり、医院のイメージアップになるはずです。そして回り廻ってドクター自身のための分業となるでしょう。もし初めから患者さんのことを度外視し、自分のためだけの分業を進めれば、その逆の事が言えるかもしれません。情報公開と薬の安全性を大切にする分業をすれば、今までとは異なる新しい医療が見えてくるはずです。私はそれを未来志向型医療と呼んでいます。きっと社会の評価や信頼性を高め、先生ご自身も満足できる医療になるはずです。是非ご検討ください。
患者さんのために「面分業」を
「患者のメリットを最優先する分業」をするのであれば、薬を住まいの近くの薬局でもらう「面分業」が優れています。どこの医療機関にかかろうとも、常に同じ薬局に処方箋を持って行き、薬剤アレルギーや重複投与、相互作用のチェックをしてもらう。これを日本薬剤師会は「かかりつけ薬局」といって推奨しています。一方、この病院にかかった時はこの薬局で、あの医院の時はあの薬局、というふうになるとこの機能は発揮できません。「利便性」よりも「薬の安全性」を重要視する分業が大切です。それは結局、患者さんのためになることです。

リベート分業の危険性
処方箋発行の意志表示をすると、多くの場合、調剤薬局チェーンの業者などが門前に薬局をつくらせてほしいと言ってきます。もちろん最近はリベートなど持ち掛けることはないと思いますが、それでもよく考えてみることが大切です。「面」に広がらない分業は「患者のための分業」とは言い難い。

マンツーマン分業の欠点
特定の薬局にのみ処方箋を発行することを「マンツーマン分業」といいます。でも、医療機関が薬局を指定することは、法律的に禁じられています。従って、他の薬局に処方箋を持っていくケースが必ず出てきます。薬の備蓄不足があると患者さんに迷惑がかかり、結局は分業への理解が得られなくなります。また、薬局がなんらかの都合でお休みした場合や廃業した場合、代替薬局が無いため対応できなくなる恐れもあります。更に、患者さんの込み合う季節には、医院の混雑がそのまま薬局に持ち込まれます。面分業であれば、処方箋が分散され、薬の待ち時間の点でもメリットがあります。この点、薬の待ち時間がいつも長い広域病院では、一年中有効です。遠方の患者さんでは、FAXを利用すると、薬局に到着するまでに調剤は終わっており、大きな患者サービスとなります。

服薬指導
小児科医に内科の服薬指導が出来ないように、薬剤師に初めから上手に説明するよう求めても無理というものです。ドクターは一人前になるのに何年もかかります。病気の説明も初めから上手なわけではありません。経験が必要です。同様のことが薬剤師にも言えます。副作用の説明は難しく、奥が深い。同じようにお話しても患者さんによって受け取り方が随分違います。薬剤師にも試行錯誤の経験が必要です。私は副作用を積極的に説明するようお願いしていますが、指導がうまく行かなかった時でも「それはよい経験をしましたね。これに懲りず、今後も積極的にお願いします。」と言うようにしています。ちょっと、おこがましいですが「良きパートナーを育てる」という気持ちでいます。

今まで薬は医院でもらえたのになぜ薬局に行くの?
「薬の安全性」のためです。薬の専門知識を持つ薬剤師さんが薬の量や飲み合わせに間違いがないか確かめた上で正確に調剤します。もうひとつは「情報開示」です。薬の名前や効能、副作用などを親切に説明します。
じゃぁ薬剤師を雇えばいい?
それはいい質問ですが、経営的にせいぜい雇えるとしても一人です。ところが、町の薬局は法律上、一日40枚の処方箋につき一人の薬剤師を置かなければなりません。40枚以上来れば二人、80枚以上なら三人の薬剤師が必要ということです。余裕を持って調剤や薬の説明が出来ます。その上、町の薬局は、処方ミスを見逃して調剤しただけでも法的に責任が問われます。そうなれば自分の薬局の存亡にも関わります。そういった面でも慎重にならざるを得ないのです。患者さんにとっては、より安全な薬がもらえるということになります。一方、病院の場合は元々薬剤師が居ますが、この「員数規定」が町の薬局より緩いので、一般に薬剤師不足で服薬指導の余裕がない。しかも、「調剤はドクターの診療の一環である」との認識のため、薬剤師としての主体性が弱い。法的責任は町の薬局よりも小さいということでもあります。

医師は本来薬を出さない
医師法第22条 処方箋の交付義務 「医師は、患者に対し治療上薬剤を調剤して投与する必要があると認めた場合には、患者またはその看護に当たっている者に対し処方箋を交付しなければならない。」原則はこのようになっていますが、例外規定がいくつかあり、それをさらに超拡大解釈しているのが現状です。

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# by stylejapan | 2009-09-01 02:45 | Selfcareについて
空中大和茶カフェ
空中大和茶カフェ http://sencha.exblog.jp/

 岡倉天心の「茶の本」は、すっかり欧米化した現代の日本人にとって忘れかけている日本の文化、美意識を再発見させ、”お茶を飲む””お茶を入れる”という行為や時間をもっと慈しみたいという気にさせられます。その中では「物事の本質は空虚のみに存在する・・・屋根と壁そのものでない」と説きます。

 現在、進行中の大和茶プロジェクトでは、その精神に習い、お茶を飲みながら心を空(くう)して他人を受け入れることからコミュニケーションが深まり共生関係が芽生える。そのようなことをコンセプトにして展開してきました。

 現代社会では、「お金=豊かさ」という観念にとりつかれるようになりましたが、本当の豊かさとは、人々がつくり出すコミュニティ、そして友人たちです。
また、それはきれいな水であり、美しい森であり、流れゆく川です。つまり人間を含めた自然―それこそが本当の豊かさなのです。私たちは、元来、自然とのつながり、そして人とのつながりによって育てられているともいえます。
 土地を「所有する」と言いますが、むしろ私たちは土に「所属する」者なのです。同様に太陽の光、風、雨、大地、生き物たちも所有はできません。今後、誰もが安心して住める社会を目指すには、このような「共生」の意識が欠かせないのではないでしょうか。

 お茶を単に喉を潤すだけではなくて、コミュニケーションを活発にする媒体と位置付けて自分たちの発想を転換し、ライフスタイルに組み入れていくコンセプトは多くの方から賛同され、事実、東京での展開につながっています。始まりの奈良が「煎茶文化」を見直し、人とのつながりを大切にする生き方、自然の恵みを享受する生き方、そして、そこへと向かう私たちの大和茶・煎茶プロジェクトのムーブメントが支持されないわけがありません。
 このたびの県庁屋上での期間限定の煎茶カフェには、このような大和茶「空」の精神を茶農家の方が世間に発信するのにうってつけの場所であるという「想い」からです。

 人間にはときどき、見晴らしのよい場所が必要なのです。空を見上げ、奈良が誇る自然の佇まいを背景に心を空にして人と語らう屋上カフェ・・これこそが大和茶のブランド発信につながる最適のシチュエーションであると期待します。
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# by stylejapan | 2009-09-01 02:28 | 茶業界の活性化
T・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展 Feb 2010
T・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展

T・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展は日本のモノ作りのインキュベーターとしての役割を目指します。モノの善し悪しを判断するポイントには物性的な側面と感覚的な側面がありますが、環境にも配慮し、賢い消費を志向する時代において大切なことは、感覚的に長年使えると確信の持てるモノと一緒に暮らすことです。そこに賢さの意味があるわけで、生活者はその点で高い満足を覚えるモノを探し求めています。

使い手と作り手の双方が愛着を感じる、永く付きあいの出来るロングセラーを目指す商品の集積を目指します

作り手にとっては、TEIBAN:定番-スタンダードを目指すということは、蓄積した技術や経験による品質の確かさと、使い手と作り手の双方が愛着を感じる、永く付きあいの出来るシンプルなカタチによって実現することです。それによって生産活動の質を高めることと長い製品寿命を決定づけられます。

生活者の共感を忘れてはいけない

デザインとは価値をつくる行為です。製品やパッケージに洗練されたカタチをほどこすだけでなく、生活者がライフスタイルの中に取り入れてみようというモチベーションを与えることもデザインと言うことが出来ます。モノ以前に誰がどういう「想い」で作っているのかとか、作っている人が魅力的であることも大切です

時代の転換期に向けた新しい展示会に

まずは問題提起から
今は時代の転換期ではないのでしょうか?
―産業革命によって生まれた製造者と消費者の区分、この区分が成立しなくなりつつあります。
―情報化社会、システム化社会が、今後、ますます進展することは誰にも予測できます。その反動として人間性の回復が大きなテーマとなってきます。
―共生という意識が高まるなかでは、生活者の理解と納得が得られるモノ作りへの姿勢が評価されます。

“出る杭”を応援する機会を提供します

地方で活性化している企業には、都会経験や異業種経験を積んでから地元に戻ってきた後継者による成功事例が多く見受けられます。その理由は何故でしょうか?
  ―「出る杭は打たれる」の日本社会。古くからの体制の中では、個性的な考えや突出しようとする考えを持つ者は足を引っぱられ、叩かれる傾向にあります。叩く側に問題があるのではなくて、誰しも自分がいる社会や組織の中で何らかの自分の存在感を見出そうとするわけです。そのような環境下では、どうしても内を向いた発想になりがちですが、一旦、外の社会を経験すると土地や組織を客観視できるようになり、そこから時代にフィットした外とのつながりを重視した展開につながることがあります。「他人の飯を食う」という言葉は、親元を離れ、他人の家に奉公するなどして、実社会の経験を積むことを意味しますが、視野を広げて自立心を養うという意味も含まれるのではないでしょうか。
「出る杭」を応援する気風を作ること、そのことに自分の存在感を見出そうとする人たち、地域再生を願う人たちを加えたプロジェクトを結成することが有望視されるでしょう。いわゆるインキュベーションとしての機能を有するプロジェクトを公化することで、足を引っぱられない状況を創出します。

今までの展示会のように商品や技術だけの展示ではなくて、「想い」を表現し、それに対する評価を仰ぐ舞台に・・・

私たちからのお願い
多様な消費、量的なもくろみを持つビジネススタンスはT・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展のクオリティに貢献しません。それは賢い消費を志向する時代に向けてのプレゼンテーションの場としてのT・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展のクオリティの維持のためにも、ロングセラーを目標にしたモノの集積にしたいとの「想い」からです。別の理由では、同じ人間を「消費者」という受け皿にして、その必然性がないもの、少しだけ目先を変えただけの製品などを氾濫させたことが環境を破壊に導いたことへの「反省」も含まれます。この半世紀の間に経験した大量消費型社会からの転換期に来ていることを踏まえて、①使い捨て文明の限界②人間性の回復③環境の再生の3つのモノサシを携えながら、定番-スタンダードを目指す作り手によって日本の“モノ作りのふるまい”を時代にフィットさせていくことが目標です。


モノ作りにのぞむスタンスの中に「心を動かす」何かがなければ共感を生むことは困難です

情報化社会の中で存在感を示すには、情報やモノに過剰に浸りきった社会に対して製品のクオリティや根拠を伝えることは、中途半端なスタンスでは不可能でしょう。「共生」の意識が高まる社会においては、モノ作りにのぞむスタンスの中に「心を動かす」何かがなければ共感を生むことは困難でしょう。

生産者の「想い」とカタチの「根拠」を社会にプレゼンテーションする

T・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展は、そのような「志」を共有する生産者のインキュベーターとしての役割を発揮して時代にフィットするモノ作りをサポートし、生産者の「想い」とカタチの「根拠」を社会にプレゼンテーションするのに最良の場となることを目指します。

日本の“モノ作りのふるまい”を時代にフィットさせたい
時代を超越したスタイルを直感させる製品を目指し、日本中のモノづくりを愛する作り手たちが、T・E・I・B・A・Nジャパン・クラシコ展という小さくても感性の豊かな舞台で成果をプレゼンテーションする。そのことが新たなモチベーションを生み出すことにつながり、日本の“モノ作りのふるまい”が時代にフィットしてくる。そのための努力を私たちは惜しみません。

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# by stylejapan | 2009-09-01 02:13 | 生活創造プロジェクト
正しいデザイン
正しいデザイン

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●はじめに
地方の活性化の問題は、それが地方のためだけでなく、小さな川から流れ込んだ水が大きな川を形成するかのごとく、日本社会全体にその影響が及ぶと考える。デザインとは、人の感性に働きかけて、いきいきと生きるためのモチベーションを与えるものであるが、そのためには、地方でいきいきと仕事をされている方たちの優れたモノづくりへの「ふるまい」が社会全体に良い影響を及ぼさせることが正しいデザインと言えるかもしれない。

何が創造的であることかは、現在から未来を見通すのではなくて、過去を紐解きながら、どこかの時点で掛け違えたボタンを探し出し掛け直す過程から、今に生きる私たちに新鮮なモノの見方や感じ方を与えることを発見することではないだろうか。

●作り手と使い手の垣根を取り払うデザイン
消費者、生活者に向けて、一方通行のコミュニケーションを図るのではなくて互いの意思や想いを交流させながら、そこから新たなモノづくりのモチベーションにつなげるような「共生」の意識がより大切になってくるだろう。ビジネスの面でも売上げの増大ではなくて顧客の増大を目指すことが目標になれば、作り手と使い手の垣根を取り払い、ありのままの想いを交流させることになると、デザインはシンプルなものになるはずである。

●大和茶プロジェクト
宇治茶のブレンドにされていた奈良県の煎茶が、実は品評会で上位入選をたびたび受賞するほどの実績があることは、県民でも知らなかった。茶農家の想いを伝えることができれば地域の人たちに自信や誇りをもたらしてくれるはずだ。日本には、「茶飲み友達」や「お茶を濁す」という言葉からも、お茶はコミュニケーションを促進する飲み物であるという原点に立ち戻り、ペットボトルで一時的には関心が高まった日本茶であるが、本来の煎茶の真髄を美味しい淹れ方とともに伝えていくことで大和茶のブランディングを図っていく。

●OTC薬プロジェクト
我が国の歴史的な木造建築のレベルの高さに驚嘆することはあるが、少なくとも1300年も続いた医学のことに触れられることは少ない。明治になり西洋医学に切り替えられて今に至るわけだが、医薬医療の閉鎖的社会の中で日本人が培ってきた医学は葬り去られてきたが、それを再登場させようとする試みだ。昔の我が国の医学では、病気の原因を心の持ち方やストレスにあるとする内因、感染にあるとする外因、生活習慣にあるとする内外因と規定してきたのが分かりやすい。ということは、感染症を除けば薬や健康になる食べ物の類が治療の根本には存在しないということが分かる。

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# by stylejapan | 2009-09-01 02:04 | 生活創造プロジェクト
商いは「飽きない」
The store should be fun.
楽しくなければならないは、店の基本である。スポーツや音楽に国境が無いと言われるが「店」も同じだ。それは、買い物という行為が狩猟の代替えの行為であるために人に備わった本能を満足させることだからかもしれない。
また、店を営む側にとっても、店は楽しくなければならない。
真面目に店をやっている人なら誰しも経験することであるが、自分が選んだ商品を評価される、その商品を使って良かったと言われたり、また来ますと言われたり、毎日のようにお客さんからお褒めの言葉をいただく・・・店をやっていて良かったと感じる瞬間だ。

人は誰でも自分のことは人の目を通じてしか認識できない。
店をやるということは舞台の上に立つことと等しいと思うことがよくある。普段の生活の中でも人に感謝されたりして、こちらも嬉しくなる経験は誰でもあるかもしれないが、店では、そのことは頻繁に訪れる。もちろん、真面目にやっていればだが。そこから生まれた「商店は劇場」という概念も万国共通だ。

商いが「飽きない」になるには、「ありがとう」とお客さんから言われる経営を心掛けることでしかない。
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# by stylejapan | 2009-08-28 10:26 | 商店街の活性化
不健全な商店街
商店街に限らず、社会の健全さはそれを構成する個人の健全さに起因することは言うまでもない。
健全な個人とは、生まれてきたからには自分を成長させて、何らかの自分を完成させたいという想いを持つ。それに対して、不健全な個人とは自分を認めさせたい、人に関心を持たれたい、想いが持てないのでチャレンジ出来ない、自分勝手なくせに団体行動の大切さを説くような、満たされない欲求を持つ傾向がある。

そういう満たされない心を持つ個人は常にそのはけ口を求めて、他人を巻き込むが建設的な方向に向かうことはない。他人に対しての気配りがない。商店街がお客様のために、地域のために、愛される街並みのために、観光に来られた方に何かを売りつけるのではなくて、ワクワクするような発見をさせるためにあるのではなくて、満たされない自分の発露のためにある。それゆえにセンスの悪い音楽を大音量で流したりする。そもそも愛着を持たれない商店街とは、商店街の社会的役割に対しての「想い」が無い。昔から言われる「店は客のためにある」という本質に気づいていない人が多いのではないだろうか。
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# by stylejapan | 2009-08-28 07:47 | 商店街の活性化
日本の食卓を取り戻そう
和食は洋食に比べて脂肪分や塩分が少なく健康にも良いという考えもあるが、それとは違って、日本人の体質にフィットしているという考えだ。

「医食同源」とは、“体によい食材を日常的に食べて健康を保てば、特に薬など必要としない”という古くから中国にある「薬食同源」の考えをもとにした造語といわれる。これは、伝統的な日常食の大切さを説くもので、“薬膳”の類をさすものではない。

近年の研究では、どうして病気になるかの答えは私たちの身体の中にあると云われる。人類の進歩とともに、移り住む場所の環境に長い年月を経て適応していく身体に対して、有用な食生活が生み出され、そのことと病気の発生に深い関係があることが明らかになりつつある。それは、伝統食の割合が多いほど病気になりにくいという研究だ。

 和食を中心にして、洋食は食事の楽しみのヴァリエーションを増やすくらいの位置づけで、必ずしも“昔に戻れ”というのではなくて、日本の食文化の良いところを未来に向けてバトンタッチしていきたい。
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# by stylejapan | 2008-10-28 16:02 | Selfcareについて
健康ビジネス
 わが国では、健全な健康マーケットが育っていないようです。その種の見本市に行っても、人間の心の弱み、不安感、悩みにつけこんだようなあやしげな商品、サービスのオンパレードです。空前の健康ブームの中で、健康観は大きく揺れ、あふれる医療情報や商魂がそれに大きく拍車をかけています。

健康とは何か、なぜそれが大切なのか、私たちは今、じっくりと健康観を問いただす必要に迫られています。

健康は特別な薬や健康食品によって得られるものではなく、またそれ自体が目標ではありません。
私たちそれぞれの目標は、自分を輝かせるために生きていると言えないのでしょうか。
そのポイントとなるのは、生き方のプロセスや出会い、生きがいにあります。その意味では、個性とはエゴや傲慢さから生まれるものではなくて、人によって磨かれるものと言えるかもしれません。人と人の営み以外の所からは、どんな個性も生じないのです。

 
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# by stylejapan | 2008-05-03 19:58 | Selfcareについて
セルフケア
 アーノルド・トインビーは、「現代人は何でも知っている。知らないのは自分の事だけだ」と述べ、おびただしい情報の処理に忙殺され、自分との対話を忘れている現代社会に警告を発しています。
 このことは、自分で健康管理を実施する場合にも重要になってきます。それは現代の疾病の多くが細菌や外的な衛生条件の不備によって起こるのではなく、各人が持つ体質(内因)や生き様の歪によって起こるからです。特に軽度の疾病の場合には、日常の生活習慣、食生活、生活の中のストレス、あるいは人間関係や生活環境にあるために、自分を知ることでのセルフケアが、病気の予防や健康の維持だけでなく治病にも不可欠になります。
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# by stylejapan | 2008-05-01 16:24 | Selfcareについて
セルフケアニーズ
 セルフケアニーズとは、特定の商品やサービスによって満たされるものではないでしょう。マズローの基本的欲求の段階を見ても、生理的欲求から自己実現に至るまでの過程で、望ましい状態と現状とのギャップを埋めることがニーズなのですから、特定の商品などによって満たされるものではないと私たちは捉えています。
 「よりよく生きたいというニーズ」に対して、私たちは働きかけをしたい。もし、提供しようとする商品やサービスの角度から顧客を見ているとすれば、市場は見えてこないと考えます。よりよく生きたいという人々との生活、生きている姿と共感しあう視点を持つことによって、ニーズがはじめて明瞭になってくるはずです。
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# by stylejapan | 2008-05-01 15:13 | Selfcareについて