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伝統を更新させる

創造力には、個人の生活の中で発揮され、人生を豊かにしてくれるレベルのものと、個人の枠をこえて人々の生活のあり方や社会の常識と言われてきたことに変革をもたらすレベルのものがある。

後者の場合には、特定の領域に対しての深い知識が必要となる。その道の大家に師事するなどはその探求心の現れである。伝統を更新するには伝統を熟知しなければならない。

創造力は自然に生まれるものではない。出発点となるものがあって、努力を積み重ね、そこから変革を起こしたいという勇気が生まれ、社会にとって価値ある創造性につながっていく。








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# by stylejapan | 2016-12-25 06:44
創造とアイデアとは異なる
ハンガリー出身のアメリカの心理学者、ミハイ・チクセントミハイは、創造力は個人に備わった性格特性ではなくて、作り手と受け手の間の相互作用によってつくられる現象であり、何が創造的であるかということは、社会や文化によってしか判断できないと考えた。

例えば、「音楽」における創造力について考えてみても、過去の作品や流行、作曲に関する理論、作品を評価する聴衆など、文化や社会と作曲行為は切り離せない関係にあることがわかる。つまり、時代の流れの中で次のページをめくる行為が創造力だと言える。

作曲をする個人は、音楽理論を学び、時代感覚を学び、それらに個人的背景を反映させながら創作を行い、オリジナルの曲をつくり発表し、「音楽」を進化させる。創造力は、このように「個人」「文化」「社会」の相互作用の中で、社会的に構築されるものとして捉えるのが、チクセントミハイの考え方である。

また彼の調査研究によると、創造力を発揮している人はいずれも仕事を楽しんでいるという特徴がある。金や名声のために働いているのではなくて、仕事から充実感を得たいために働いているゆえに仕事に全身全霊を傾けられる人たちだと結論づけた。







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# by stylejapan | 2016-12-24 07:59 | 生活創造プロジェクト
創造力
創造力は人間の営みである。これによって生活を作り変えていくことが出来る。
服を作る、家具を作る、店舗空間を作る、これらを新たにするということは、既存の枠にとらわれずに発想することではない。

それらが今に至る歴史的背景、異なる業界知識、異なる技術など、広い視点でもって再度、既存の枠内で新たなものを創造する姿勢が重要になる。
既存の枠外だと違和感が生じる。
しかし、今までの枠内での普通の繰り返しだと創造力を発揮したとは言えない。枠内のギリギリでチャレンジしなければ創造ではない。
つまり創造力とは、新たな方法で知的にモノゴトを組み合わせ、既存の枠を少し拡げる能力だと思う。










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# by stylejapan | 2016-12-21 07:06 | 生活創造プロジェクト
展示会の面白さ
協働での展示会の面白さの根源は、それぞれが思い描いた世界観を具体的な形にしていく点にある。
目に見える形になっているからこそ、評価や議論が立ち上がる。
形として表すことで思考の軌跡として記憶や画像として保存されることにもなる。

他者の発想に刺激され、それぞれが次の段階では進化が見られるような展示会が理想である。
その形は、思考の積み重ねによって生み出されたものである限り、その経験が次の経験との掛け算を生み出していく。

協働でやる意義は、それぞれの発想から刺激を受け、同時に他者の発想の良い点を引き継ぐことで、全体としての進展を図れることにある。
これこそが正しくプラットフォーム効果だと言えよう。







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# by stylejapan | 2016-12-20 08:55 | 生活創造プロジェクト
やわらかい頭
時代錯誤とは、その時代にそぐわないこと。時間の進行から見て前にも後にも双方向のズレに対して時代錯誤と呼べるが、特に「時代遅れ」の意味に使用されがちで、既に過去のものとなった文化を持ち出そうとする姿勢を指すことが多いとされる。そのため発想は常に更新していく姿勢が必要になる。

既存の枠にとらわれない発想との言い方がある。しかし、どうだろう。既存の枠の限界に立ち、広い視点で枝葉を切り捨て物事の核心、本質を探究することの方が新しい発想にたどり着くのではないだろうか。目まぐるしく変化する現代社会においては、柔軟性に富んだ人間でなければ困難に直面していく時代になった。





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# by stylejapan | 2016-12-17 09:08 | 生活創造プロジェクト
センスを養う
センスを養うには、世の中に入って沢山の物事に触れることが不可欠になる。
それは、見て、触れて、共鳴して自分の中に取り込む行為。
先入観を持たずにその空間に身体を委ねるくらいの方が収穫が多いと思う。
ネット情報は情報を発信したい人の情報であることを考え現実の空間に身体を運び入れ五感を使って物事に触れることが大切になる。
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# by stylejapan | 2016-12-11 11:31 | 生活創造プロジェクト
センス
センスとは常日頃から足を運んで収集してきた情報の豊富さである。
絵は嫌いだけど絵を描くことは上手い。という人はいない。

消費者レベルでのセンスとは「目利き力」のことであるが、ビジネスともなると対象となる顧客からの「共感」を得ることが前もって分かる能力を言う。

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# by stylejapan | 2016-12-10 09:36 | 生活創造プロジェクト
関係性の継続
製造ビジネスは、製品が買われた時点でプロセスは一旦完了し、その製品を用いて理想的な結果に到達する責任は利用者に行く。作ったものを買ってもらい、リピートをうかがうという一方通行的な関係であるのに対して、サービスビジネスでは、顧客のニーズが満たされるまで終わらない。顧客と何度でもやり取りする中で互いが進化を続けるとともに、顧客との関係性も続く。キーワードは「共創」。
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# by stylejapan | 2016-12-07 13:39 | 生活創造プロジェクト
切磋琢磨の環境
社会学者ジグムント・バウマンは、ポスト消費社会を「リキッド・ソサエティ(液状化する社会)」と称し、独自の時代認識を示した「幸福論」では「われわれの生きる現代は、液体と同様に、幸福も長い時間、同じかたちにとどまらない」と説く。

近代を作り上げてきた産業社会が大きな曲がり角に来ている時代、地場産業の活性化という課題に対しては、あらゆる固定観念を捨て新たな時代を創り上げていく姿勢で臨まなければならない。それは時代とともに歩む姿勢だ。もちろんのこと豊かな社会の構築を目指さなければならない。
そして、特に地方においては時代と向き合いながら新たな価値をつくるための環境づくりが求められる。

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# by stylejapan | 2016-12-05 11:08 | 生活創造プロジェクト
文化的消費
現代の資本主義は既に従来のような次から次へと消費形式を更新させ、次々と新しい消費財を手に入れるといった成長性を失っている。
消費行為は優越性の誇示や他者と自分とを区別するための手段ではなく消費を通じて生活の充実を図るためのものでも無くなってきている。

他方では、別の意味で現在もなお消費生活の高度化を目指しているようであり、食事や衣服、娯楽や文化的消費に対する生活者の欲求水準はますます高まっている。
文化的消費とは「機能的価値」ではなく、「精神的価値」を持続的に追求し、その観点から消費の質を上げようとするものであり、それなしには、成熟した生活者の関心を集め、満足させることは出来ない。

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# by stylejapan | 2016-12-04 07:19 | 生活創造プロジェクト
発想し続ける態度、やり続ける態度
プロフェッショナルとは体質そのものであって、単に資格によって何かができるのではなくて、やり続けるという態度、仕事に対して責任を負い、発想し続ける態度を持っている人を指す。カネを稼ぐかどうかという点は、プロフェッショナルの本質的要件ではない。

一般の人たちの知識が及ばない分野、信頼している社会的役割、それらへの信頼に対してプロフェッショナルには探究心が求められる。ドラッカーは、世の中をつくるのは、普通の人であり、誰でも一流のプロになれると言い続けてきた。加えて、能力が人を変えるとも述べている。

「自らの成長のために最も優先すべきは、卓越性の追求である。そこから充実と自信が生まれる。能力は、仕事の質を変えるだけでなく、人間そのものを変えるがゆえに、重大な意味をもつ」(ドラッカー「プロフェッショナルの原点」)。

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# by stylejapan | 2016-11-30 00:05 | 生活創造プロジェクト
発想の鍛錬
発想には主語と対象が存在するはずである。自分のやろうとしていることが誰かのためになる、社会の役に立つと考えるのが発想の基本だと思う。そのように考えることで何らかの進展が見られる。

自分自身のこと、地場産業の活性化のための組合活動、商店街の活性化、街づくりなど、それらに進展が見られないのは、対象のことが欠落している場合がほとんどだと思う。

その意味で、社会の共通善への発想こそが、自分の、地域社会の、共に活性化につながるはずである。

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# by stylejapan | 2016-11-29 07:08 | 生活創造プロジェクト
人間が能動的になれる価値を提案する
どのような職業であっても、その職業にふさわしい「思想」を持つことが大事である。それはひらめきではなくて、日頃よりの発想の鍛錬から生じる。
その発想の根源は、「こうすれば人に喜ばれ、社会に役立つ」という『共通善』にもとづく思想しかない。

共通善とは、「皆にとって善いこと」を指す。ビジネスの観点で言うと、近江商人からはじまった売り手、買い手、世間それぞれに「良いこと」を提供することを意味する「三方よし」。そして、近年注目を集める経営論である「CSV(Creating Shared Value、共通価値の創造)」も同様に、皆の“共通”の利益を志向する考え方だ。いずれも共通善を志向する根底は変わらない。







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# by stylejapan | 2016-11-24 08:59 | 生活創造プロジェクト
大衆化社会からの脱出
世界に先駆けて、想像を超えたスピードで進んでいくこの国の超高齢化。それは人口減少、地域・世代格差、単身世帯の増加、いじめや虐待の増加、未成年の自殺、うつ病の増加など、様々な社会変化を伴いながら進行し、この国のカタチを大きく変化させつつある。

すでに「モノの豊かな社会」になり、その社会をどう捉え直していくのか、それは単なる効率主義でも単なる成果主義でもなく、格差社会から成熟社会への転換、平坦な大衆化社会から如何に脱出していくかが問われている。

それはすぐれたモノやシステムの世界より「人間の人生」を基本にとらえることであり、今、何のために生きるかが改めて問われているのであって、そのためには大衆化ではなくて多様な個人を尊重する社会空間の再構築が課題であり、そのことが「心の砂漠化」、「無機質な社会」からの脱出にもつながる。

モノが溢れた状態で生活することが、心に余裕も無くし、うつ病もモノが豊かになりモノへの依存心が高まった故の症状と言われている。また、精神面の健康を保つためには、まずは休める空間が必要になる。

それら問題の本質を一挙に捉え、そこに調和と秩序をもたらす行為、魅力的な空間と共感される生き方を提示し、それに触れた人の行動を喚起し、ポジティブな気持ちにさせる行為、自律的に生きようとする提案は支持されるに違いない。少なくとも宣伝によって欲望をつくり出そうとする行為よりも。











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# by stylejapan | 2016-11-20 07:46 | 生活創造プロジェクト
孤独な群衆
社会の伝統や慣習に従うことを行動の基準とする伝統志向型、自己の内的な確信や良心に従って行動する内部志向型に対して、周囲の他人やマス・メディアに登場する人や風潮を行動の基準または指針とするのが他人志向型である。

他人志向型の人たちは、自分の信念を貫くことよりも、他人とうまくやっていくこと、他人から受け入れられ認められることを求めるので、他人の意向に絶えず気を配り、それを的確にキャッチし、それに自分をあわせていこうとする。この意味で、他人志向型の人間の心理機構はレーダーに例えられる。
長いものに巻かれて、自らの意志を表現するよりも大樹への忠誠とへつらいという姿勢で由とする人もいれば、他者の視線を四六時中気にするような人もいる。

「孤独な群衆」を著したアメリカの社会学者デビッド・リースマンによると、大衆化社会では、自分自身の中に絶対的な羅針盤を保った独立独歩で生きる「内部指向型」人間は姿を消し、周囲の平均的な人々を手本とし、自らの行動をそれにあわせ精神的安定を得ようとする「他人指向型」人間が増加する。

個性と主体性を失い、孤立しながら群れ集まって生きる現代の人々を孤独な群衆とよび、仕事によって自己表現をするのではなくて、仕事を家計の質を得るための手段にすぎないと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費生活に求めると述べている。








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# by stylejapan | 2016-11-19 11:22 | 生活創造プロジェクト
大衆化社会における地域の再生
本来、「市民」と「大衆」は全く異なる概念である。たとえば「市民」とは、自律性を備え公共の問題に積極的に関わる自由で平等な人々を指す。

「大衆」とは、他律的で公共の問題に無関心で受動的な人々を指す。「大衆化社会」とは構成員の大多数を大衆が占める社会をいう。

経済発展により核家族化から個人の孤立化へと進展した現代社会においては、マス・メディアに依存して自分の方向を確認し、自分自身の中に絶対的な羅針盤を持たないで自分の考え方や行動が左右される傾向が顕著になる 。
そんな中でいかにして地域の再生を実現させるのか、時代を切り拓くGame changer の出現に期待する。









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# by stylejapan | 2016-11-17 08:09 | 生活創造プロジェクト
公による地方創生
近代国家では、公務員と生産者およびサービス提供者、さらにそれぞれが交換者として社会を構成している。
別の角度からは、雇用者と被雇用者という関係もある。

そんな中で、地域の活性化のプロデューサー役として誰が相応しいのかという問いの答えは行政職員である
本来、行政職員の仕事は地方創生の専門家である。

自分たちが望ましいと思う多種多様な地域的目標を、地域内外のさまざまな人びとの力を合わせて実現していける状況の牽引役としての役割がある。
また利害関係が存在しないことも大きい。規模の経済からの転換を難しくしているひとつの理由として、儲かるか儲からないかの尺度がある。この点も、そのような尺度に左右されない行政職員が主体を担うに相応しい理由である。

行政職員が自らに課さないといけない課題がある。
余所から憧れられるような地域づくりを描く構想力と資金繰りまで上手にやれる現場感覚をどのようにして身に付けるかだ。
その養成役なら買って出たいと思う。












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# by stylejapan | 2016-11-16 10:23 | 生活創造プロジェクト
「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的ムラ社会風土
日本には明らかに「家」がある。廊下は全然往来となることはなく、また往来は全然廊下となることがない。その関門としての玄関あるいは入り口は、そこで戴然と廊下往来の別、内と外の別を立てている。我々は玄関をはいる時には「脱ぐ」ことを要し、玄関を出るときには「はく」ことを要する。配達夫も小僧もこの関門を入ることはできない。カフェーも飲食店もすべて「よその家」であって、決して食堂や茶の間の意味を持たされない。食堂や茶の間はあくまでも私人的であって共同の性格を帯びることがない。日本人はこのような「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎ得る。” 和辻哲郎『風土』


インド・イタリア式の家では、それぞれ個々人の部屋はあるが、家族全員の共通の場というのが、たいへん重要な機能をもっていて、そこでみんながおしゃべりをして、一日の大部分の時間を過ごすのがつねである。これに対して、日本の家はどうであろうか。まず、その特色は個室というものがないこと。各家族成員に明確にそして恒常的にきまった部屋というものがない。(中略)外国人は家を買ったり、借りたりするとき、「ベッド・ルームがいくつある家か」というように、家の大きさを表現する。それに対して、日本人は「何坪の家か」あるいは、すべての部屋をひっくるめて「いく部屋の家か」というふうに表現する。日本人は、住居(部屋)というものを家族生活に必要な機能によってみる。たとえば、居間、納戸、玄関、台所などというように。ところが、他の社会では、住む人を中心にして考えるわけである。すなわち家族の各人の部屋がちゃんとあるかないかということが問題になるわけである。こうしたことからもよくわかるように、日本人は、家族というものを、個々人にわけないで、一つの集団として考えている。(中略)いちおう、部屋の仕切りはあるが、障子や唐紙なので、すいてみえたり、隣室の声がきこえたりするというばかりでなく、寒い季節を除いては、障子や唐紙はつねにあけられているのが普通である。”
 “内部の配置・人間関係は、当然外部との関係に影響してくる。日本式では、内部に壁というものがないかわりに、外部に対する壁がたいへん厚くなっている。したがって、人々にとって、家のウチとソトでは大変な違いがある。” 中根千枝部屋の配置と家族関係』


〈ウチの者以外は人間にあらずの感〉「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、この感覚が尖鋭化してくると、まるで「ウチ」の者以外は人間ではなくなってしまうと思われるほどの極端な人間関係のコントラストが、同じ社会にみられるようになる。知らない人だったら、つきとばして席を獲得したその同じ人が、親しい知人―特に職場で自分より上の人―に対しては、自分がどんなに疲れていても席を譲るといった滑稽なすがたがみられるのである。実際、日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人に対して実に冷たい態度をとる。” 中根千枝『タテ社会の人間関係』


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“日本人が自分の属する職場、会社とか官庁、学校などを「ウチの」、相手のそれを「オタクの」などという表現を使うことにも表われている。
私の、またわれわれの会社であって、主体化して認識されている。そして多くの場合、それは自己の社会的存在のすべてであり、全生命のよりどころというようなエモーショナルな要素が濃厚にはいってくる。” 中根千枝『タテ社会の人間関係』











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# by stylejapan | 2016-11-14 06:52 | 生活創造プロジェクト
時代を進める
人の言うことは気にするな。
「こうすれば、ああ言われるだろう」、
こんなくだらない感情のために、どれだけの人がやりたいことも出来ずに、死んでいくのだろう。 John Lennon

旅をし、本を読み、興味のあることに取組む中での人との出会い。それらによって自分の中にあるもののブラッシュアップを行う。そのようにして自分の感覚は自分の意志で学ぶことが出来る。

いつの時代も、時代の空気を感じながら周囲には流されない自分の哲学を持った人々が世の中を進展させてきたはずである。
宿命を感じ、何かに突き動かされながら、時代を進めていく人々である。

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# by stylejapan | 2016-11-06 07:06 | 生活創造プロジェクト
規模の経済からの修復
「かつて我らの師父たちは、貧しいながらかなり楽しく生きていた。そこには芸術も宗教もあった。今や我らにはただ労働や生存があるばかりである。宗教は疲れて近代科学に置換され、しかも科学は冷たく暗い」(宮澤賢治)

規模の経済原理の影響を最も強く受けたのが地方社会である。商店街は崩壊し、やがてスーパーも地域人口の減少により撤退していく。買物をするにも商品の選択肢は都会に比べると圧倒的に少なく、売れ筋商品中心の品揃えであり、文化の匂いを漂わせた個性のある店も無くなる一方である。

地方都市の風景はどこも画一的で、多様性に欠けている。若者にとっても中高年にとっても、想像力をかきたてるような面白い居場所がない。街空間をどのようにすれば価値観が多様化している現代に対応できるかを課題にしなければ人は戻っては来ない。そのためにはPDCAサイクルを早く回しながら手法を見つけることだと思う。

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# by stylejapan | 2016-11-04 10:33 | 生活創造プロジェクト