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150人の法則
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親しくつながっていられる人数の上限のことを、ダンバー数と言い、進化心理学の世界ではたびたび言及される重要な概念となっている。進化人類学教授のロビン・ダンバーに由来する。

人と人との関係は相手の表面的な行動に対応するのではなく、相手の心理状態まで理解して行動する。複雑な関係を維持し、人間関係を活用する上限がダンバー数である。

フェイスブックでは沢山の友人がいるかもしれないが、実際にはそんなにたくさんの友人、特に親しい友人はもつことはできないのが現実だ。心理学者や人類学者によると、ひとりの人間が親しくつながっていられる最大数は50人から150人程度だという。

その人数は、平均的な人間能力にとって、集団のつながりを感じとれる限界ともされ、それは経済学的な問題に対しても取り上げられる。

ブランディングや店舗経営においても、親密な関係になれる顧客数の参考にもなるし、やたら広く知ってもらおうとすることの無意味さにもつながる。さらに、それ以上の顧客を必要とするのであれば、一目でコンセプトや違いが分かるようにしなければならない意味が理解できる。












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by stylejapan | 2014-12-29 10:39 | 生活創造プロジェクト
マーケティングの真髄
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人は何に心を動かされるのか、自分は何に価値を置き、何を好み、何に心を乱されるのか。

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出来事や他人の行為に、自分の感情を癒着させないことが、本来望んでいる進化につながらないだろうか。

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細かいところにとらわれず、全体像を理解しながら客観的に何が不足しているかを掴むことでブレなくならないだろうか。

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すぐれたサッカー選手は試合の流れ、相手の動き、味方の動き、自らの力量を併せもって俯瞰的に見渡している。俯瞰的に物事を見ることが出来る人は頼れる人ではないだろうか。

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過去、現在、未来、時代の流れを理解することによって、考え方に軸が持てないだろうか。

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モノゴトに手をつける前に、目指そうとしているゴールをイメージすることが大切ではないだろうか。

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「マーケティング」の真髄は、「人の心がつかめるかどうか」「相手の立場で考えられるかどうか」。人間とは何かを問い続けてきた哲学、宗教、東洋思想、芸術、映画、音楽、文学など、さまざまな人たちが人生を賭けて探究してきた仕事に触れ、それらを学んで感性を深め、「人間とは何か」「自分とは何か」を考えていくこととされる。

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by stylejapan | 2014-12-27 09:25 | 生活創造プロジェクト
個性の確立とブランディング
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サービス産業は、我が国GDPの約70%、雇用の約75%を占め、その動向は我が国経済全体に大きな影響を与えている。

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規模の大きさだけではない。地域経済の振興のためにサービス分野に注目する動きが広がりつつあり、また、製造業においても、いわゆる「サービス化」を戦略的に推進する動きが急務である。

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サービスとは、顧客の価値を創造する役割である。そのことは製造業にとっては、いくつかの大きな課題がある。まず、顧客との接点を持ち、一方通行ではなくて相互交流の中からパフォーマンスに対しての評価を得るということ。そこでの感情的なこだわり(感覚的価値)から愛着心が生まれるからである。

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次に、価値提案の多くは生活に根ざしたものでであるために生活全般に対する幅の広い見識を要すること。誰にでも得意、不得意があるが、そのことは専門領域における完成度が高くなるかもしれないが、顧客にとって価値があるか、時代の完成にフィットしているかどうかとは別の問題である。

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技術的なことだけではなくて、それらと教養、そして精神性のバランスが重要である。「教養」とは社会が抱える問題に対して独自の考えを表明できることである。そのためには多くのことを学ぶとともに、行動パターンを見直しながら様々な体験を積み重ねることが大切になるだろう。

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ブランディングを成功させるためには、志を高く持ちチャレンジを繰り返すしかない。目標を高くかかげたからには、それを支える背景をしっかり作らなければならない。そのことはビジネス以外でも同様である。チャレンジと失敗の繰り返しの中で進化し、意志力も鍛え上げられていくはずである。その姿勢に対してファンが生まれてくるのだと思う。

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そのようなチャレンジの繰り返しの中から生まれてくるのが「個性」だと思う。前にも述べたように、技術やアイデアが優れていても個性が開花しないのは、個性を形づくる理念や精神性が足りないからである。そして、「ブランド」は、事業者がモノやサービスを一方的に提供した結果、生まれるものではなくて、事業者と顧客との間の感情の相互交流(共感や憧れ)の中から創造されるという特徴を持っている。

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by stylejapan | 2014-12-26 09:48 | 生活創造プロジェクト
創造的公共政策
社会は、市民や企業の自由な活動によって成り立っている。しかし、そこには市民や企業では解決できない問題や矛盾が生じてくる。さまざまな社会資本の整備も企業の自由な経済活動からは生まれない。

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経済学では市場原理の及ばないこうした問題領域を「市場の失敗」と呼ぶ。つまり、こうした領域については国や自治体が責任を持って問題を解決しようというのが「公共政策」である。

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その政策には、大きくは3つの階層がある。それらは「政策:policy」⇒「施策:program」⇒「事業計画:project」であり、多くの場合、政策は国が策定し、施策と事業計画は自治体が局面を担っている。

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政策には、公共事業のように自治体が事業主体になるものと、補助金や規制などの市民や企業の活動に何らかの動機づけを促すものとがある。また、これらは「企画の段階」と「執行の段階」に分かれる。
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この「企画の段階」と「執行の段階」は、ひとつの自治体で行われるのが望ましいが、戦後半世紀以上続いた集権下のもとでは、前者を国が、後者を自治体がという図式であった。これが、国の指示がない限りすべてをルーチン的に処理しようとする風土につながっている。地方分権が叫ばれる意味がここにあり、創意工夫して地域の実情に合った政策を次々に生み出していく風土を目指している。そして、これら政策をめぐる自治体間競争の時代を迎えようとしている。


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これからの自治体職員には、高度化社会に適応するための複合的な能力が求められる。それらは、ある特定分野に対してひとかどの専門性を持ち担当実務をしっかり仕上げる専門的能力と担当職務に関する執務知識と経験、人脈という執務能力である。

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政策というと新規の政策と思いがちであるが、多くの問題領域には既に何らかの手が打たれている場合が多い。そこでの課題は激変する社会環境に対してそれらの政策が適応しているか否かである。同時に成果と言われてきたものが、それが実質的に何をもたらすのか、次のステップにつながるものであるかどうかが判断の目安になってくる。それは単発では進化が見込めないからである。そしてそれらの政策は、実務レベルでは4つの局面に対応するものである。

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保全型、補正型、更新型、創造型があり、何らかの原因で政策水準が下がって生まれた局面に対してが「保全型政策」、目標とする政策水準が設定された期間内で達成不可能な局面に対してが「補正型政策」、当初の政策遂行には問題が無いが周辺環境のレベルアップで目標水準を高くする必要が出た局面に対してが「更新型政策」、現行の目標値にとらわれず新たな目標を設定し、全く今までにないアプローチで立案するのが「創造型政策」である。最後の「創造型政策」こそが、時代の変化に対応しようとする政策である。


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創造型政策の立案は3つの作業過程からなる。
第一ステップは、あるべき姿を設定するところから始まる。それに基づいて目標が設定される。
第二ステップは、現在の地域が抱える問題やこれまでの政策を明らかにする過程である。他の国や他の地域との比較の視点を交え現状を正確に把握することが必要である。
「あるべき姿」と「現状把握」の二つの作業過程をへて、はじめて「ギャップ」が浮き彫りにされる。そして、この「ギャップ」をどのようにして解決するか、その解決方法を設計するのが、第三ステップの「手段の構築」である。
そしてこの「創造型政策」の立案と執行には高度な専門的能力と執務能力が必要となる。

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by stylejapan | 2014-12-24 09:34 | 生活創造プロジェクト
ブラッシュアップのための舞台
ブルーノ・ムナーリが言うように共同体は個人よりもずっと重要である。

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また、価値のある個人というのは、共同体に何かを捧げられる人のことで共同体から奪う人のことではない。


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また、有用な、経験の集大成をもれなく次世代に伝えようとするのが共同体である。

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してそれは参加する個々人の多才多様な貢献により、改善されつづけ、その価値は上がり、未来への希望をもたらすものでなければならない。

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知識と教養は異なる。
教養とは社会の抱える問題に対して独自の考えを表明できることである。

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技術や知識だけでは専門バカでしかない。
それだけでは社会の変化に適応はできない。教養とはそれら技術や知性の上に独自の発想を積み重ねて新たな物事を生みだす素地である。教養こそが太古の時代から現代に至るまで社会を牽引してきたと言えるだろう。

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現代社会では、地域コミュニティにおける住民同士のつながりの希薄性がしばしば問題となるが、コミュニティの結束と閉鎖性は表裏一体である。

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何事もゴールが見えない間は不安かもしれないが、知性や情感、意志力など様々な部品をブラッシュアップし続けていると、ある日まとまった全体のカタチが出現することになる。

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自分の「クセ」を個性と勘違いしてはいけない。技術やアイデアが優れていても個性が開花しないのは、個性を形づくる理念や精神性が足りないからである。

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本当の個性とは社会性に裏づけられたブレることの無い価値観や想いを持つことから生まれる。それらは一朝一夕には生まれては来ない。ブラッシュアップの連続から生まれるものである。

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意志力が弱いと、たとえ良い人と思われても軽んじられるかもしれない。
自らの仕事によって社会に一石を投じようとする人には信頼が集まる。

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美しいものは人を魅了する。
そのことは現代科学で解明済みである。人が美しいものを見た時には、脳や体内に快楽ホルモン(神経伝達物質)を分泌させて喜びを感じるからだと言われている。


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そのためには、美しいものに接する機会を常に大切にするような行動パターンが不可欠である。

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知力や情感、そして意志力を高めていくことでしか、自らの夢をつかむ能力は養われないと思う。









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by stylejapan | 2014-12-23 15:17 | 生活創造プロジェクト
ブレない
今の日本における都会への人口集中、地方の人口減少に危機感を抱いている人は少なくないと思う。
経済は本来、生活を豊かにさせるという側面がある。その意味では、地方よりも都会の方が多様で豊かな生活環境がある。

大きな公園の中や周辺には素敵なカフェやレストラン、美術館やギャラリー、コンサートホールなどがあったり、しかもセンスの悪い幟やポスターを目にすることもない。
街には、まだまだ昔ながらの商店があると共に洗練されたライフスタイル型の店や専門店もある。

一般的に都会は人間関係が希薄なイメージを抱くかもしれないが、実際には地方の方が新たな人間関係を築く機会は少ないのではないだろうか。
また、地域の問題において短期的な成果ばかりを求める背景にあるのは、地方には地域の人たちのためではなくて個人的、恣意的な判断があるのではないだろうか。

医療で言う「対症療法」では何も解決しない。ストレスの原因である人間関係、身体を形成する食生活、自己を表現する仕事状況、生活のリズム、好奇心を充足させる環境、体力づくりなどの改善に加えて、社会を進展させてきた精神性といった教養も養っていく必要がある。

社会が抱える問題に対して自分なりの考えを応答する。これこそが教養だと思う。
「悪は、判断力と責任感覚を欠いた、ごく普通の凡庸さから生まれる」というハンナ・アーレントの言葉通り、社会を「想い」のない無機質な断片の集合体に向かわせるのであれば、社会に対する個人の関与は希薄になり、また個人の側においても社会の中での自らの存在を見い出しにくくなっていく。

「教養」を野球に例えるなら、ピッチャーが決め球を活かすには様々な球種を駆使したり、タイミングを外したりするのと同様だろう。様々な角度からの見方や思考の積み重ねを必要とする。それが教養だと思う。素晴らしい決め球があっても物事を一面からしか見ないとしたら勿体ないことである。そして教養を培い、自らの決め球を社会のために活かしたいという想いがあれば、その人の人生はブレないのではないだろうか。








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by stylejapan | 2014-12-23 08:12 | 地域再生
意志力
闘争逃走反応と言われるものがある。
例えばライオンを見ると逃げ出す。これは自然界で生き残る為のシステムである。逃げている最中にトイレを探している場合ではない。

人間がまだ文明の中で生活していない時はこの「闘争か逃走」を表に出して生きていたが、現代では対人関係においてストレスを感じても、言葉を使って対応することがほとんどで、体を使っての「闘争か逃走」を行うことはほとんどない。
ストレスを感じる対人関係を克服出来なければ、アドレナリン、ノルアドレナリンは使われずに体に残ることにない。そしてストレスホルモンの効果が続くことになる。

ストレスホルモンが分泌されると思考や創造性を担う脳の司令塔と言われる前頭前皮質の働きが弱まることになる。この前頭前皮質が弱まると、今、何が大切か、自分は何をすべきかといった思考はなくなると言われている。

自己を守るために合理的と思われる言い訳を考えることによってストレスを回避しようとする。また報酬や成果に置き換える人ほど、それらが何をもたらすかを考えなくなると言われている。

太古に人類が生き残るための武器だった「本能」が、今となっては大切なことに向き合わないなどのマイナスの結果を引き起こすことが多くなっている。
それには、進化の中で獲得してきた「意思力」を用いてその「本能」をどうやってコントロールしていくかが課題となり、意志力を鍛えた人ほど自らの夢を獲得できる能力を身につけることになるだろう。






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by stylejapan | 2014-12-22 08:37 | 生活創造プロジェクト
世の中は複雑ではない
仕事への想いは、その人の生き方が反映される。
何が正しいかよりも誰が正しいかに関心が向く人は仕事においても信頼出来ない。

社会に向き合う姿勢が弱い人は仕事に対する想いも弱いはずである。
組織や地域社会においても人の言いなりになるだろう。

本来、人間は集団を形成しなければ生きていけなかったために、孤立しないように人を怖がり、また同調するように「本能」が働いたとされる。

しかし、そこから、知性を進化させ自分らしい「生き方」を貫くようになって社会を成長させてきたと行動経済学では言われている。
特に社会における役割を「仕事」として見い出せることによって、自分らしい「生き方」を持てるようになった。

接客をしている時が、一番自分が誠実でいることが出来ると言う人がいるが、素敵なことだと思う。

「無能、無知、頼りなさ、無作法など、ほとんどのことは許す。しかし、真摯さの欠如だけは許せない。真摯さに欠ける者は組織や社会を腐敗させる。」(ドラッカー)







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by stylejapan | 2014-12-22 08:23 | 地域再生
Ando Tadao
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人間にとって本当に幸せは、光の下にいることではないと思う。その光を遠く見据えて、それに向かって懸命に走っている、無我夢中の時間の中にこそ、人生の充実があると思う。


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ギリギリの状態に何度も追い込まれた人でないと、直感力は働かない。最近の若い人には優秀な人材がたくさんいますが、ギリギリまで追い詰められたという経験がないから、直感力がないんじゃないかと思います。



豊かさというのは、直感力を奪うんですね。豊かになるのはいいことですが、これまでの歴史を見ても、豊かさを極めた国は滅びています。



人として間違った道はありますよね。王道、つまりまっすぐな道を歩く途中で、失敗したり迷ったりすることはありますが、軸がぶれるとダメですね。



失敗を恐れず前を向いて進んでください。足元ばかり見ていても、成功はありません。胸を張って未来を見据え、心を世界に開くことが大切です。

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極限の状況を乗り越えられるのは、「この先にもっと面白いことがあるぞ」と思えるからでしょう。



個性と個性がぶつかり合う中でこそ、新しい発想が生まれます。個性のない者同士がいくら意見を交わしても、そこから生まれてくるものは何もありません。



私の場合は建築が専門ですが、それぞれの専門分野において、自分の腑に落ちるまでものごとを突き詰めて考えてきたかということが大事です。



いまの世の中には、社会が面白くないといって現実から目を背けている若者が多いようです。しかし、たとえどんなことがあっても、一度、極限まで突き詰めてみるべきだと思います。そうして自分をギリギリにまで追い込むことで、冷静な判断力と、常に平常心を保つ精神力を養うことができます。
人間、極限まで追い込まれてはじめてたどり着く境地があります。ひとたびその境地を経験した人は、些末な事柄にとらわれない、大局的な視野を持つことができ、どんなときでも平常心を保つことができるようになるのだと思います。



最初は誰も相手にしてくれませんでした。社会が認めてくれない。事務所を開いても仕事がない。「今月は生きていけるだろうか?」という、常に追い込まれた状態の中で仕事を続けてきました。しかし、その経験をしたことで、多少のことでは動じない平常心を身に着けることができました。

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本来、人間というものは、信頼関係がなければものごとを進めることができないものです。利害のみにとらわれることなく、平常心で子供心をぶつけ合うからこそ、信頼関係ができるのです。



変化の激しい国際環境には、「組織の部品」ではなく、「責任ある個人」でなければ対応できません。確固とした自己を持たない人が、外国でのビジネスで相手にされるわけがありません。



どんなに苦しくても、自分の頭で必死に考え、自分の意見を言えるようにすることが必要だと思います。判断を人に任せていては絶対に伸びません。



どんな仕事でも一流になるために最も大切だと思うのは、「いまに安心しない」ことです。「いまのままではいいと思わないけれど、まあ仕方ないか」と現状に甘んじてしまったら、絶対に成長していきません。



私は現在、韓国で3つの建築を手掛けていますが、ダメなものはダメとはっきり言います。それで最初は扱いにくい日本人だと思われていたようですが、こちらが本気だということが相手に伝わってからは、逆にいい関係で仕事ができるようになりました。

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外国で仕事をするとき、たいていの日本人は自分を殺して、ひたすら丁寧に振る舞うことで友好関係を保とうとします。これじゃ、真の対話にはならないし、かえって相手に信用されません。



いま、私が自信をもってものを言えるのも、若いうちに死に物狂いで勉強したからです。日本の若い人を見ていると、この死に物狂いで勉強するという経験が、どうも足りないような気がしてなりません。



若いころアルバイトで設計をやり、そのバイト料でヨーロッパに行って、いろいろな建築物を見て歩きました。1日15時間、50km近く歩いていましたね。歩いている間はずっと、直前に見た建築のことを考えているんです。


私は高校も建築科ではないし、大学にも進めなかったので、すべて独学です。京大や阪大にいって、そこの学生が4年間で勉強する教科書を全部買ってきて、1年ですべて読むことにしました。毎日、朝9時から翌朝4時まで机に向かっていましたから、その1年間は、家から出ていないんです。まあ、読んだというのと理解したというのは微妙に違うんですけどね(笑)。

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日本にいると危ない。ある一定レベルを超えると、急に結果責任が甘くなりますからこの国は。だから私は、常に現状に満足せず、新しい情報を吸収するように心がけています。



持続が大事だということは建築写真家の二川幸夫さんも言っています。「ポッと出て5年もつ奴はいる。10年もたてば建築家らしくなる。でも、30年もたたなければ、自分は建築家と認めない」と。30年トップクラスで活躍できる人というのは、本当に少ないですね。



いまは常識というものが次々と崩れています。常識を疑い、自ら新たなルールをつくる。現代を生き抜くには、そんな気構えが必要でしょう。



一流大学だろうが、専門学校出だろうが、中卒だろうが、いまの時代、誰も人生を保証されていません。一人一人が、目の前の白いキャンバスに自分で絵を描かなければなりません。にもかかわらず、依然として一流大学に幻想を抱いている人がたくさんいます。一流大学を卒業すれば安泰な人生が送れるという時代ではなくなったのにね。

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外国人と仕事すると、日本人のレベルの高さを実感します。まず向こうは工程の管理がきちんとしていない。工程管理がずさんだと、建物の品質にも影響が出ます。だから、海外での仕事は難しい。それと向き合うことが自分を高めることにつながると信じているので、逃げずに立ち向かっていきますけど。
私の場合は、海外の施主はすべて外国人です。パートナーを組む設計会社や建築会社も外国企業です。相手が日本人でないから、意思疎通は上手くいかないし、当然リスクも高いです。でも、そういう緊張感の中で仕事をしなければ自分が向上しないでしょう。日本人同士で仕事をすれば安全かもしれませんが、それで鍛えられることはありません。



市民の声を聞く政治家が必要なように、社員の声を聞くトップが必要です。声に耳を傾けないトップは、都合のいいところだけ聞いています。上司に対してものを言いづらい社員から、意見をうまく引き出し、それをもとに決断していく。これがトップとして当たり前なのに、偉くなったら上から下へドーンとトップダウン。だから売上、利益一辺倒になってくる。



とにかく、自分の仕事でギリギリまで追い込まれる必要があります。それぞれの仕事を四六時中考える。昔の人は、寝る直前まで仕事のことを考えたし、朝起きた直後から仕事のことを考えていましたよ。でも最近の若い人は、職場の机を離れたら仕事のことなど忘れてしまう。大手企業ならいいかもしれませんが、中小企業はボスが倒れたら全員失業です。にもかかわらず、仕事のことを考えない。残念です……。


企業が保育所をつくると、その分お金はかかりますが、少なくとも少子化を食い止める手助けにはなります。それぞれの企業が、自分たちのできる範囲で投資をすればいいのに、ほとんどしないから保育所が足りなくなっている。私が東急渋谷駅と上野毛駅の設計を手がけたとき、「駅に託児所をつくってくださいよ」とお願いしました。そうやって、誰もができることをやって少子化をカバーしていく、サポートしていくということがなければ、社会は元気になりません。企業がお金を貯め込んでいるという状況は、喜ばしいことではありませんよ。

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by stylejapan | 2014-12-13 08:18 | 生活創造プロジェクト
Change Your Thoughts - Change Your Life:
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時間の使い方の最も下手なものが、まずその短さについて苦情を言う。 (ラ・ブリュイエール)

一番多忙な人間が一番多くの時間をもつ。 (アレクサンドル・ピネ)

時間がないというのは嘘である。 時間は十分過ぎるほどある。 (リチャード・コッチ)

忙しくするだけなら蟻でもできます。問題は「何に忙しくするか」だ。 (Henry David Thoreau)

成功者と失敗者を分けるのはある言葉を使うかどうか。成功者はこの言葉を使わない。「時間がなかったんだ」。 (Franklin Field)

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「時間ができた時にしよう」と思っていてもそのような時間は決しておとずれない。自分から時間を確保しなければならない。(Charles Bruxton)

毎日自分に言い聞かせなさい。今日が人生最後の日だと。あるとは期待していなかった時間が驚きとして訪れる。(ホラティウス)

未来はすでに始まっている。 (ロベルト・ユンク)

相談するときには過去を、 享楽するときには現在を、 何かするときには未来を思うがよい。 (ジュベール)

君、時というものは、 それぞれの人間によって、 それぞれの速さで走るものだ。 (ウィリアム・シェイクスピア)

朝寝は時間の出費である。 しかも、これほど高価な出費は他にない。 (カーネギー)

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私たちは常に命の短さを嘆きながら、あたかも命がいつまでも続くかのように振舞う。(セネカ)

短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる。 (サミュエル・ジョンソン)

時間というものは我々がもっとも必要とするもの。しかし、もっとも無駄な使い方をしてしまうもの。 (ウィリアム・ペン)

あなたが唯一リサイクルできないもの。それは時間。
「手に入れて、そして失うもの」、それがお金。しかし時間は「失うこと」しかできない。だから大切に使わなければいけない。
人間、誰しも持っているものが時間。たとえあなたが他に何も持っていなかったとしても時間だけはある。 (Baltasar Gracian)

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一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている。
研究テーマなんてごまんとある。
ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでいたら、本当に大切なことをやるひまがないうちに一生が終わってしまうんですよ。(利根川 進)

フェルミは数学にも長けていた。必要とあれば複雑な数学を駆使することもできたが、まずはその必要があるかどうか確かめようとした。
最小限の努力と数学的道具で結果へたどり着く達人だった。(ハンス・ベーテ)

同じテーマでも、仮説の立て方が周到かつ大胆で、実験のアプローチが巧妙である場合と、仮説の立て方がずさんでアプローチも月並みな場合とでは、雲泥の違いが生ずる。
天才的といわれる人々の仕事の進め方は、仮説の立て方とアプローチの仕方の二点が優れて個性的で、鋭いひらめき、直観に大いに依存している。(箱守仙一郎)

成果をあげる者は仕事からスタートしない。計画からもスタートしない。
何に時間がとられているかを明らかにすることからスタートする。
次に、時間を管理すべく、自分の時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。
そして最後に、その結果得られた時間を大きくまとめる。成果をあげる者は、時間が制約要因であることを知っている。あらゆるプロセスにおいて、成果の限界を規定するものは、もっとも欠乏した資源である。それが時間である。(P・F・ドラッカー)

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by stylejapan | 2014-12-10 06:30 | 生活創造プロジェクト