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規模の経済からの脱皮
厚生労働省のデータでも明らかなように、この20年間で単独世帯、夫婦のみの世帯が倍増している。

世帯人数が少ないほど、消費財へのニーズが小さくなることが予測されるが、これまでは都市開発を郊外に拡大していく波に大手小売業も消費財メーカーも便乗してきた。
しかし、少子化と超高齢化の同時進行、人口動態の変化だけではなくて、それぞれが自分らしい生き方を模索し始めている時代の流れでは、万人受けする商品や店舗を開発して規模の経済を働かせるという発想からの脱却が迫られていると言えよう。

地方をまわると使用されなくなったショッピング施設の跡地をよく目にするが、これらは規模の経済が終焉に向かう象徴と見えなくもない。
人口動態から見て小売業の総面積は縮小していく傾向にあるのに対して、製造業も小売業もスタンスを変えていかないといけない。
ショッピングカートを使わなければならないような業態ではなくて、店の人と客とのコミュニケーションが図れる場の提供、人生がより豊かになるライフスタイルの提案など心をつかむ方法を考えることがポイントだろう。
常にマーケットに目を向けていれば、既にその兆候を探し出すことは難しくない。

新しい経済に向けて、製造業は量よりも本質的な価値ある製品を提示して、小売業は生活者の日常生活と一体化することをイメージして、地域生活の一部になることを覚悟することが必要だと思う。
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by stylejapan | 2010-04-30 11:26 | 生活創造プロジェクト
地域と地場産業の活性化
グローバル化や都市化を背景とした地方都市の衰退は地場産業の廃業傾向とも連動している。中心市街地のシャッター街化、中小零細企業の廃業、伝統工芸、農業、林業、水産業の後継者不足・・・

田畑を貫くバイパス道路は車が交通手段として欠かせない地方都市の移動時間を短縮させたかもしれないが、中心市街地の存在感を低下させ、人の気のない無機質な佇まいを拡大させている。

このような状況のもとで少子高齢化、医療、核家族化、青少年教育、コミュニティー問題を、誰が、どのようにして取り組んでいくのかという課題に対して、行政か、企業か、市民かという選択だけでは解決できない状況が広がっている。それには即効性のある処方箋はないものとして、志を共有する者が地道に地域の中心軸を再構築させていくような発想でのプロジェクトがあっても良いのではないだろうか。
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NPOに始まったチャリティー活動に中心を求めるのではなく、利潤追求だけを目的にする企業にでもなく、地域の社会を豊かにする目的を持った社会的な想いを持つ企業、市民、自治体の3者で推進していくイメージだ。

そこに参画する企業は、ヒット商品を作って自分さえ儲ければ良いとする企業ではなくて、市民の視点を大切にしながら新しい社会的価値、生活を豊かにする価値を提示していく、企業だけでなく皆で地域にイノベーションを起こしていくことを目的とした「第4の存在」を中心軸として確立していく発想はどうなのだろう。
市民から見て応援したい企業、若者に就職したいと思わせる職業、自らの安定を求めてではなくて社会に深く関わろうとするための公的な職業・・・それぞれの「仕事」が魅力を発揮し続けることこそが地域主権の活性化ではないだろうか。
新しい可能性に挑戦する「社会的企業家精神」が地域にエネルギーを放出し、魅力的な地域づくりの原動力になると思う。
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by stylejapan | 2010-04-29 14:44 | 生活創造プロジェクト
商店の力
先日ある商店街を視察した続きの話だが、シャッターが下ろされた店と店の狭間でかろうじて営業している商店が今のままで生き残れる可能性は高くない。もしも商店街活性化の可能性を本気で探ろうとするのであれば、商店の都合本位で考えるのではなくて、住民が誇れる街づくりという大きな視点でゴールをイメージする必要があるだろう。そのポイントは街の核を創り出すことだと思う。

そもそも地方都市の中心から郊外へと人の流れが移住していったのは、大規模小売店舗立地法が廃止された2000年に始まったのではない。それ以前から、中心から周辺へ……という街の構造変化は起きている。市役所や警察署、病院、高校や中学などの公共施設も、旧来の市街地にあった施設が手狭になったこともあり、郊外への移転が次々と行われてきた。それは多くの都市においてこの数十年間進めてきたことである。これら街や商店の未来にまで想いが及ばなかった人たちの判断によって全国で中心市街地のシャッター街化が進んだのではないだろうか。

街の核を無くしておいて、街に活気がよみがえるはずがない。商店街の成功事例として滋賀県長浜市の「黒壁」商店街がよく紹介されるが、観光客が素通りする街と化したあそこの商店街から、地元客は消えた。そして商店主たちの多くはヨソの人たち。地元住民はクルマで大規模小売店へと足を運ぶ。
都会の資本で埋め尽くされた町家レストランやカフェなんかもそうだけど、それが本来の住民たちにとって"幸せ"なのかは疑問が残る。

今さら中心市街地に“父親”を復権させることは容易ではないが、観光客の誘致ではなくて地元市民から愛される街づくりを目指し街の核をどう創り出すのか、それには「店の力」を活かしてエネルギーを放電するしか道はないと思う。人々が充電するために集まりたくなる街づくりをを目指して欲しい。
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by stylejapan | 2010-04-27 10:02 | 商店街の活性化
現状維持バイアスを乗り越える
ダウィーンの言葉に「生き残る種というのは、最も強い種でもなければ、最も優れた種でもない。変わりゆく環境に最も適応できる種が生き残る」とあるように、停滞あるいは衰退していく産業や地域の活性化においてもイノベーションという基軸が不可欠である。
過去に実績がある人、年齢が高い人ほど、未知なもの、未体験のものを受け入れず、現状は現状のままでいたいとする心理作用のことを「現状維持バイアス」というが、新しいことに挑戦するには、誰しもまずこの「現状維持バイアス」という“小さな自分”を克服しなければならない。
そして、一定のリスクを背負って「社会に貢献する」をキーワードにさまざまなアイデアを強力な影響力へ開花させていくのがイノベーションである。
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by stylejapan | 2010-04-23 17:22 | 地場産業の活性化
ロジカル思考とイノベーション
イノベーションはオーストリアの経済学者シューペンタ―によって「新たな考え方によって世の中に変化を起こすこと」と定義づけられた。しかし、異業種と交流しようとか、製造業であれば売場を体験しようとか、日々の活動の延長線上から離れて、発想をブレイクスル―することが大切であると説かれても、人間がそうは簡単に変われないことは、同窓会で久しぶりに出会った友人たちが変わり映えしていないことからも分かる。
体質的にも変化を受け入れるタイプと受け入れないタイプもあるだろう。

どちらにしてもイノベーションは連続の結果ではないために、演繹的な論理的思考からは生まれないことを前提にして、それぞれが勇気を持って活動することの方が重要だ。スティーブ・ジョブスが「世界に一石を投じたい」と述べたように、その勇気は現状に甘んじてはおられないことへの「改革」という使命感によって支えられている。
「空中大和茶カフェ」が毎回、新しい方法を模索しながら進めるのもそこから煎茶の新しい価値を探し出して社会にその存在感を示していくと同時に、参画者が新たな体験を蓄積していくことに意味がある。中でもシチュエーションが変わっても皆で対応できたという体験こそが何よりも重要であり、それらが各人の自信の裏付けになり次のチャレンジへのハードルを低いものにしている。
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by stylejapan | 2010-04-23 15:37 | 生活創造プロジェクト
医療は社会が育てるもの(8)~自治体病院について
自治体病院が地域に属しているのなら、それは消防署のようなものと考えたら分かりやすい。
病院がガラガラであるとしたら、それが地域にとっての喜びの出来事であるはずだ。そうなっていない場合は医療が社会に属していない証拠だと言える。

それには地域の診療所、病院は独立せずに地域の医療関係者全体に属する形が取れないかを住民も参加して皆で考える機会を設けることが必要だと思う。
そして、病気を未然に防ぐセルフケアの普及活動を最重要課題として取り上げるべきだろう。市民に医療、薬の基礎知識を持たせることで病気を予防し、発見時期を早めることで病院、診療所などの資源も有効に活用されるようになるというゴールのイメージを共有することからすべてが始まると思う。
OTC薬のプロジェクトもその流れの中で、安全で選択しやすい薬の開発とセルフケアについてのコミュニケーションが図れる業態としての新たな薬局づくりの準備を進めている。
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by stylejapan | 2010-04-18 08:14 | Selfcareについて
医療は社会が育てるもの(7)~医療を社会の中に位置づける
医療の在り方とは誰も無関係ではない。医学や薬に対する無知がどれだけ医療をねじ曲げてきたか、それを是正するには、医療を自分たちの生活の中に位置づけなければならない。そのためには一人一人が医療に対する幻想を捨て、ある程度の専門的な理解力を養う必要がある。

丹波医療再生ネットワークは、医療の崩壊に危機感を持ったひとりの主婦の呼びかけで始まり、町の開業医・薬剤師を中心とした「丹波医療再生ネットワーク」というグループが立ち上がり、そこから波及して一般市民グループ「丹波の医療を支え隊(仮名)」などの活動も始まった。そこには住民が医療を自分たちのものとして捉え、医師も一人の同じ人間であることを再認識することで、専門家任せではなくてセルフケアのマニュアルまで作り上げてコンビニ受診の軽減につとめ、医師も住人も共に医療を担う主役であるという認識のもとに活動している。
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by stylejapan | 2010-04-18 07:49 | Selfcareについて
医療は社会が育てるもの(6)~育薬について
前にも述べたが、新しい薬に対して政府は安全性と有効性を確認して認可するが、それだけだと患者への一方通行だ。そこに“薬を育てる(育薬)”という考えが重要になる。育薬は医師・薬剤師が患者への効果や副作用をフィードバックさせ、その情報を薬の有効利用に活かすことだ。つまり、一方通行ではなく双方向で、薬の適切な使用法を確立し、より優れた薬になるように育てるわけだから、コンビニなどで医薬品を販売する時の問題点の一つは、このフィードバック情報が無くなってしまう=育薬の機会が失われることにある。  育薬の概念は、ちょっと分かりにくいかも知れないが、正に薬の本質である。

3年前から関わっているOTC医薬品のプロジェクトは、ドラッグストアが薬も他の消費財も同じように扱っている状況に対して、育薬の体制が取れる新たに専門性を持つ業態を創り出すことを目的としている。
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by stylejapan | 2010-04-18 07:15 | Selfcareについて
医療は社会が育てるもの(5)~生体実験の積み重ねの歴史
「病ありて治せず、つねに中医を得」というかつての中国の教えは、病気の時は何もしないでほっておいても、中くらいのレベルの医者にかかっているのと同じだと説いていた。分かりやすく言えば、むやみに医者にかかるなという意味だ。

医療によって救われる者の方が苦しめられる者より多くなるのは、19世紀になってからと言われている。
新薬の開発も新たな治療方法の確立も、はたまた新米医師が一人前になるにも、臨床試験といわれる実験によって副作用の発現や誤診の繰り返しの上に成り立っている。
将来的に同じような病気で苦しむ人間をなくするためには、どうしても患者の協力がなければ医学の進歩もないということである。
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by stylejapan | 2010-04-18 06:51 | Selfcareについて
医療は社会が育てるもの(4)~医師という職業
医師は自由業なので、患者が来なければ生活できない。医師の選択は患者の自由だから資本主義的な自由競争の上に生業がある。そして開業医としての成功は、評判という捉えようの無いもの上に成り立っている。しかし、医療が口コミの評判を頼りに行われていることは笑えない現実である。

先に述べたように失敗経験の無い医師は皆無である。誤診された患者が悪い評判を流せば来院者は少なくなるだろうし、もともと本人の思いこみで病気になっている患者が早期に回復したと勘違いして名医と評判を流す場合もあるだろう。

しかし、誤診は必ずあるものである。誤診をしても気づいて修正をかけることで正しい診断に近づけば良い。問題は誤診を隠すことである。誤診がばれて評判が落ちて、収入に影響が出るためにひた隠しにする。医者とて平凡な人間に変わりはないのに、現在のような社会認識ではこの傾向は避けられない。
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by stylejapan | 2010-04-18 01:08 | Selfcareについて