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カテゴリ:地域再生( 145 )
店づくり
店づくり、家づくり、街づくりには共通点がある。
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それは、年月を経た後で結果が見えてくるからである。
時間が経つとともに社会の状況は変わってくる。家の場合では、家族の状況が変わってくる。
街の場合は、やがて多くの人々にとって、人生における場所の記憶となる。
そのため、時代を先回りして構想することが欠かせない。
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建築上の技術の問題ではなくて、社会学の領域が深く関わってくる。店や家の場合には哲学も関与するかもしれない。
空間構築のプロフェッショナルになるには、舞台芸術家のような幅広い見識を養なわなければならない。
とりわけ店に関しては、その業種の成り立ちを踏まえながら、その背景にある文化も探りながらカタチをつくらないとそれはカタチにはならない。
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さらに、店づくり、家づくり、街づくりの共通点として、非日常性を加味しなければならない。イマジネーションを豊かにさせることが、生活の豊かさにつながるからだ。
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by stylejapan | 2016-02-21 00:43 | 地域再生
ファナティック
ファン(英: fan)は、特定の対象に対する応援者、愛好者のこと。「狂信者」を意味するファナティック(英: fanatic)の略である。

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売れっ子の芸能人であれば、多くのファンに支えられている。いろんな番組に引っ張りだこになる。そして、どのレベルのファンも取り込んでいく必要がある。追っかけのようなファンから、中くらいのファンから薄いファンまで大勢いることが大切である。

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しかし、実力派、個性派の歌手や舞台俳優であれば、薄いファンが幾ら増えても上手くいくことはない。熱心なファンの支えによってのみ成り立つはずである。

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小さな会社の店づくりやブランディングにおいても大切なことは、後者のように濃いファンとのつながりをいかにして進めていくかである。
大きな会社が製品、その品質や機能、素材など、それらをアピールすることに力点を置くのとは異なり、共感される想い、社会への愛情、目的に向けて失敗や挫折を繰り返しながらチャレンジする姿、その人間味でファンをひきつけることを目標に邁進する、ブランディングの成功はそのようなプロセスの結果である。

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by stylejapan | 2015-04-15 08:23 | 地域再生
ブランディングに欠かせない文化という資本
文化を資本として捉える「文化資本(英語: cultural capitall)」という言葉は、社会学における学術用語の一つである。

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金銭(経済資本)によるもの以外の、教養や美意識などの文化的素養といった個人的資産を指す。経済のグローバル化によって「格差」という問題が大きく浮上してきたが、その格差を固定化してしまうのが文化という資本であるという捉え方がある。

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文化的資本は書物や絵画のように物質的に所有可能なものもあるが、注目されているのは知識や教養や趣味や感性のような個人の習慣行動から蓄積され、身体に備わった部分である。

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格差を改善する上で、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合があるという見方もある。文化的素養があれば、それによって人間関係が構築しやすくなる、そして、そのことによって新たな経済が生まれるかもしれない。

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経済のグローバル化による弊害をどこかで出し抜くには文化しかない。それは経済的合理性から生まれるものではなくて、個々が習慣によって身体の中に培ってきた感性や教養、美意識、振舞い方、態度であら、それは「一見してそれとわかるもの」である。

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1973年、フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって文化的資本の重要性が提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。ブルデューの出発点は「人間であること、それは文化を身につけることである」という点にある。

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by stylejapan | 2015-04-02 09:52 | 地域再生
文化から生まれる絶対価値
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どんな時代が来ても、どんな変化があっても揺るがない、自らのオリジナルの普遍的な価値を探究し、それを表現する行為からはエネルギーが生じ、その繰り返しから文化が生まれる。そのことは、簡単に迎合しない絶対的価値の獲得にも通じるものである。
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脈絡の無い細切れのアイデアの集合体ではなくて、大局でものを見る見方、現象を抽象化する能力、多種多様の出来事を構造として編集する能力のブラッシュアップが欠かせなくなる。

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経済の動きや時代のムードに引っ張られるのではなく、自らが獲得してきた文化とそれを支持する人間関係の上に経済を成立させる、そのことがブランディングに通じると思う。

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文化という資本、人間や地域との関係という社会資本、それらによって成立する経済資本という構図である。そのためには、時代が変わっても通用する絶対的価値となる、文化的なアイデンティティを何よりも先んじて見出さなければならない。

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by stylejapan | 2015-03-31 06:36 | 地域再生
地域の魅力
地域の魅力とは、その土地に暮らす人々が日常的に楽しんでいる物事に他ならない。
町おこしと称して、過去に存在した文化を掘り起こして外に向けてPRしても、一度は来た人も二度目は来ない。
それはニセの文化であるからだ。表面を取り繕うだけでは、そのやり方にシンパシーを感じることはない。

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その土地の文化というのは、そこに住む人たちの日常と生活意識によって育まれ、住民の日常を楽しませ、豊かにするものであって、外に向けてのPR材料として考案されたものではない。

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地域の魅力とは、外に向けて発信する目的で生みだすものではなく、地域の人たちが楽しんでいるモノゴトであって、観光とは、「その光り輝くものを見に行こう」というのが本来の意味である。

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そして、そのための第一歩は“個人”から始まり、それがブラッシュアップされていくプロセスを経て地域固有の“文化”になるのだと思う。そして第一歩を踏み出した“個人”の人生は充実したものになる。

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by stylejapan | 2015-03-29 08:43 | 地域再生
リッチであること
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「行政にとっては、住民の暮らしやすさより、クレームがないのが一番いい状況。行政が権限持った途端に面白いことや新規性があることはできなくなる」という人たちがいるが、グローバリズムの進展によって生じつつある恒常的な社会の不安定さ、いわゆる液状化した社会状況を少しでも良い方向に変えていくためには、官民が協働して痛快な運動体をつくることが有効な解決策だと思う。

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そこでの”つながり”において尊重されるべきは「本気」で参加していることであって、軽薄なノリであっては時間とエネルギーのロスでしかない。
それぞれがどんな時代が来ても、どんな変化があっても揺るがない、自らのオリジナルの普遍的な価値を探究し、それを表現する行為からはエネルギーが生じるものである。

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「ものごとはすべてリッチでなければならない」は、資生堂初代社長・福原信三の言葉である。
リッチとは、金銭的な価値ではなく、心の豊かさ、心の贅沢といった、広がりのある本質的な意味であり、目に見える、視覚だけに頼って認めるだけのものではなく、五感全てを動員して初めて味わえるものだと説く。

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現代の社会では、効率や合理的なものばかりがもてはやされ、五感を揺さぶる本物に出会いづらくなっている。
そこからの五感の劣化が、本物を要求することをこまねいているともいえる。さらに成果主義は、それぞれが身体に養うべき振る舞い方や、センス、美的成功を後退させてしまうことになる。

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最終的に信じることが出来るのは自分のセンスでしかなく、それらは、思考と行動の繰り返しのプロセスの中からしか得られないものである。
簡単に迎合しない絶対的価値はそのような行動が習慣化されることによって生みだされてくる。同時に目的が社会的課題の解決に向けたものであれば、何よりも「リッチ」だと思う。そのことはデザインの本来のあり方にも通じるだろう。

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by stylejapan | 2015-03-27 11:11 | 地域再生
自律性が重要
1匹のライオンに率いられた羊の群れは、1匹のヒツジに率いられたライオンの群れに勝るという言葉はリーダーの重要性を説いた言葉であるが、今の時代では状況が少々変わって来ている。

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ハーバード大学の心理学者デビッド・マクレランドの研究によると、業績を挙げる人と学歴や知能はさほど関連はなく、そのかわりに共通の行動特性があることが分かった。

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何かの仕事で高い成果を上げるためには、従来は蓄積した技術やノウハウを駆使して競争力を維持し、さらに「改善」によって業務効率の向上や品質の確保を図ることで差別化を図ることができた。

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顧客が商品やサービスを選ぶ基準も、知名度やシェア、いわゆる信頼度によっていた。しかし、それは商品やサービスの内容に大きな差、特に切り口の差がなかったからこそ歴史があるところが有利であった。

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しかし、情報化社会の進展も相まって、市場が開かれ、どのような市場にもさまざまな新規参入が増えてくるようになった。彼らは市場の変化と呼応しながら、固定化された古い価値観を壊しながら新しい世界観を創造していく。その新鮮な価値観が多様化した顧客からの共感を獲得していく時代である。

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このような時代、必要とされるのは自ら能動的に問題や課題を発見し、解決しようとする能力が必要とされる。自ら考え、困難な状況にチャレンジし打破し、道を切り開いて行くという姿勢でなければ、変化が激しく競争の厳しい中を生き延びていくことは出来ない。

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トップに立つリーダーシップが必要なのではなく、それぞれが自立し、それぞれの立場に応じて適切にリーダーシップを発揮することが求められている。いちいち指示を誰かに仰いでいたのでは変化に対応できない。リーダーがライオンでは次々に生じる多様な社会課題も解決できない。

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地方の地域社会や組合団体、体育会系スポーツにみられる年齢序列、あるいはあら探しをするような減点主義などではなくて、ひとりひとりが自覚と責任をもってチャレンジし、社会を前進させていくことでなければ社会の変化に対応できないし、社会からの共感も生まれない。
地域活性化のために必要なのは、そのような機運づくりであると思う。

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by stylejapan | 2015-03-03 08:08 | 地域再生
長幼の序
年上のほうが偉い、年上の方がすぐれていて序列の上に立たなければならないという社会では時代の変化を乗り切れない。しかし、このことは、アイデンティティが確立していない人にとっては都合の良いことかもしれない。

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小学校や中学校ではひとつ上だけでもずいぶん偉そうにするものである。学校では年齢序列で秩序をつくっていた。目上の者が率いるという規律が、学校組織において都合が良かったのだろう。


年齢序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年齢序列はない。彼らからも理解できないという。徳川幕府にも年齢序列はなかった。年齢序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、明治時代に官僚制度ができたとき原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。しかし、年長者に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、経済が成長し、若者が増え続けるときだけである。

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年齢序列の秩序というものはその根拠や理由を問えば、血液型性格診断と同様にあまり正当性のない偏見でしかないことがわかる。学校の成績でいえば年上の者が絶対的に良かったということはありえないのであり、年上で年下の者よりいくらでも低い者がいる。スポーツでも先輩より年下の者のほうが業績や成績をあげる例はいくらでもある。仕事の業績や経験は年上の者が優る例も多いだろうが、年下のほうがはるかに業績をあげたり、優れているといったこともあるだろう。仕事においては時代感覚との合致が求められるのは言うまでもない。

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年上のなにが偉いのか。年上だったらなにが優れているのか。年をとれば年下に絶対に負けない業績や成績を生み出せるのか。年をとれば自然にリーダーや役職にふさわしい性格や能力が身につくのか。年上は偉そうにしなければならないという自然の思い込みを問い直してみる必要がある。年齢序列では社会の流動性は生まれず、チャレンジが起こらない社会になってしまう。年齢序列というのは近代の社会が当時の都合で教え込んできた単なる偏見や思い込みにすぎないという理解が、地域や組織の活性化には不可欠だと思う。サッカー選手や野球選手が海外チームで活き活きしている理由もここにある。










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by stylejapan | 2015-02-17 09:40 | 地域再生
課題の背景
OECDの調査によれば、日本社会は自分の属する組織や集団、地域の「ソト」の人との交流が先進国の中で極めて少ないことが指摘されている。その原因はコミュニティが農村社会を基盤に産業社会に移行していったことにあるという説がある。
明治維新当時、人口の9割が農村にすみ、8割以上が農業人口であった。つまり、戦前日本人の8割は農村で生まれ育ったといえる。従って日本人は、農村社会にみられる地域共同体の中で生活をしてきた。こうした環境の下で日本人に特徴的なパーソナリティが形成されたといわれるが、このことが地域の活性化を考える際の重要な背景になっていると思う。

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「コミュニティ」とは、自分、それを囲む家族、その延長上にある地域社会を意味していて、「わが町」「わが村」というように一体化するような人間関係が生まれる場所が「コミュニティ」と考える傾向にある。そこは、個人とコミュニティの区別がつきにくく、個人の存在感や創造性が発揮しにくい社会である。しかし、都市型社会の「独立した個人」をベースとする社会にみられる個人の自由と創造性、そして公共性が表面化するような「コミュニティ」では、個と個の交流によって「個」が進化し、活動領域を広げていくことになる。


従来の共同体意識の核になるのが血縁関係である。血縁の結びつきのなかにいると、強い安心感と満足感が得られるので、運命の波にさらされても乗りこえていける。方言は共同体の会員証である。動物でも血縁関係は大きな意味をもつ。共通の祖先に由来する遺伝子をたくさん共有する個体同士は、遺伝的な利害関係が強い。だから、ほかの条件がすべて同じなら、血縁が近い者同士は利他的な行動をとる可能性が高い。これは「ハミルトンの法則」といわれている。
しかし、このような本能を制御していくことが文化的かつ開かれた社会につながるといえないだろうか。


前にも述べたが、近年の日本のスポーツ界で躍進ぶりが著しいのは「体育会系」から脱皮した「クラブ組織」を形成した競技種目である。そこでは「共有されるビジョン」とそれを達成するための「個のブラッシュアップと自主性を重んじる仕組み」がある。このことは「ムラ的な一体意識」から「都会型の個をベースとした公共意識」への移行がうまく出来たことによるものといえるだろう。

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かつて移動手段が限られていた時代、人間関係はほぼ血縁集団に限られていた。このような村社会では助け合い活動が盛んになる。しかし、集団の利益と反する行動をした場合には、攻撃の対象となり、村八分という悲惨な運命が待っている。また、利他的な行動は共同体の中に限られている。利害関係が相反する隣接する共同体との仲は、通常は不良であり、揉めごとも少なくない。


現在行われている 地域活動の多くは「地域的」範囲に限定され、活動している主体も地元の自営業者、高齢者、主婦などが、自分たちのまちを盛りたてるために、自営業者などは本業の時間を削って、活動に打ち込んでいる様子がみられる。特に高齢者と子供は土着的活動を好む傾向にあるといわれる。しかし、 このようなコミュニティづくりから得られる「安心感・楽しさ」と、「ソト」と「ウチ」の垣根を越えた「個人と個人がつながる」ような体験がもたらす「驚きや充実感」とは大きく異なる。後者は「個」にとって自らの大きな成長につながるからである。そのことは、科学者やスポーツ選手を想像すると分かりやすい。もちろん、ビジネスにおいても同様である。社会はさまざまな異質のもの、多様な個性とのぶつかり合いによって進化してきたはずである。


地域経済の疲弊という課題に対して、そのゴールは自由な文化の形成だと思う。そして文化は経済基盤の上にのみ成立する。そのために、しっかりとした経済基盤を構築し、そのプロセスにおいては障害となるような「一体意識」を後退させ、「個」を引き上げるような新たな仕組みの中で経済を創出していくことが必要だと思う。

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by stylejapan | 2015-01-07 10:56 | 地域再生
時間軸 
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時間軸を長期と短期を併せもって考えることは、自分を見つめなおすいい機会になると思う。

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しかし、長期ビジョンをいざ本気で考えてみると難しいことではある。その理由は、しっかり考え抜くこととそれをやり抜こうとするための覚悟を要するからだ。しかし、そうすることによって自分の今しなければならないことが明らかになっていくのは間違いない。

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これはプロジェクトにとっても同じことである。
狭い意味の「経済」ー短期的成果に重きを置いているプロジェクトが継続的成果に結びつくことはないと思う。長期的な時間軸で行うべきことを組み立て、それから中期的に行うこと、短期的に行うこととブレークダウンして考えることがマネジメントには欠かせないからである。

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最終的なプロジェクトのゴールを、また段階ごとの目標を共有することはとても重要なことになる。プロジェクトには予期していない様々なトラブルや条件が加わり、いつの間にか長期的な時間軸でのゴールへの意識が薄れてしまい、プロジェクト全体で目の前の問題の処理に追われてしまう場合が多いからだ。
このとき長期的な時間軸でのプロジェクトのゴールが客観的・具体的になっていれば、今何をすべきか、軸はぶれていないか、目の前の課題は本当に今すべきことなのか、そもそもゴールは変化していないかが見えてくるはずである。

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もちろん経営においても、長期ビジョンとそこに至るプロセス管理、そして日々のハードワークは欠かせないはずである。

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by stylejapan | 2015-01-06 11:13 | 地域再生