経済学者J. ガルブレイスは、欲望は常に消費者という主体によって生みだされるのではない。個々人の欲望を超えて生産に依存した欲望(依存効果)を作り続けるという資本主義のシステムの働きが、「消費社会」を維持・成長させてきた。そしてシステムの成長とともに、消費は意味を変容させながら、個人の欲望の形態を変えつつ膨張させ続けてきたと指摘した。
そして、以下のように述べている。
「社会が豊かになるにつれて,満足させる過程が同時に欲望をつくり出していく程度が次第に大きくなる。これが受動的に行われることもある。すなわち、生産の増大に対応する消費の増大は、示唆や見栄を通じて欲望をつくり出すように作用する。高い水準が達成されるとともに期待も大きくなる。あるいはまた、生産者が積極的に、宣伝や販売術によって欲望をつくり出そうとすることもある。」
戦後の大衆消費社会では、スタンダード・パッケージによって「人並みの水準」に達することが社会的価値と目された。「スタンダード・パッケージ」とは、日本で高度経済成長期に瞬く間に普及した三種の神器(テレビ,冷蔵庫,洗濯機)や3C(カラーテレビ,自家用車,クーラー)と呼ばれたものがこれに相当する。「スタンダード・パッケージ」がスタンダードとなりうるのは、それらの消費財が多数の人々によって消費され、その価値観が社会に共有されていたからである。
次の高度消費社会における新しい体系について、フランスの哲学者、思想家である J. ボードリヤールは、消費はモノそれ自体への欲求として行われるのではなく、人々が他人との違いを競うものとして行われていると言及した。消費はもはやモノの機能的な使用や所有ではなく、権威づけにもならず、また他人と差別化を図り自分らしさを図っているつもりが、そのブランド等の記号に服従することになっていると消費社会を批判的に論じた。
消費のあり方の変遷は産業構造の変化に関係しており、大衆消費社会の到来段階においては、富裕層の自己顕示であったものが,本格化した大衆消費社会では、他人の反応を絶えず気にかけながら,周囲の人々に歩調を合わせて生きようとする「人並み化」に、そして高度消費社会における記号イメージによる差別化へと変化してきた。
社会学者ジグムント・バウマンは、ポスト消費社会を「リキッド・ソサエティ(液状化する社会)」と称し、独自の時代認識を示した「幸福論」では「われわれの生きる現代は、液体と同様に、幸福も長い時間、同じかたちにとどまらない」と説く。
バウマンは現代のアイデンティティの不安定は,生産を中心とする社会(近代の第一段階)が消費中心の社会(近代の第二段階)に移ったことが原因であるとした。
それではどうすればよいのか。バウマンは「なにが人生を幸福にするのかはっきりわかるようになるには……手さぐりで明かりを探さなければならない」とローマ帝国時代の詩人セネカの言葉を繰り返す。