人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ
地域の再生と大衆化社会との関係
地域の再生と大衆化社会との関係_e0025086_05381642.jpg

本来、「市民」と「大衆」は全く異なる概念である。たとえば近代市民社会という時の「市民」とは、自律性を備え公共の問題に積極的に関わる自由で平等な人々を指す。
「大衆」とは、他律的で公共の問題に無関心で受動的な人々を指す。「大衆化社会」とは構成員の大多数を大衆が占める社会をいう。
経済発展により核家族化から個人の孤立化へと進展した現代社会においては、マス・メディアに依存して社会全体における自分の位置を確認し、自分の考え方や行動のモデルとする傾向がみられる 。

「孤独な群衆」を著したデビッド・リースマンによると、大衆化社会では、自分自身の中に絶対的な羅針盤を保った独立独歩で生きる「内部指向型」人間は姿を消し、周囲の平均的な人々をを手本とし、自らの行動をそれにあわせ精神的安定を得ようとする「他人指向型」人間が増加する。
個性と主体性を失い、孤立しながら群れ集まって生きる現代の人々を孤独な群衆とよび、仕事によって自己表現をするのではなくて、仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求めると述べている。

すでに「モノの豊かな社会」になり、その社会をどう捉え直していくのか、それは単なる効率主義でも単なる成果主義でもなく、格差社会から成熟社会への転換、平坦な大衆化社会から如何に脱出していくかが問われている。それはすぐれたモノやシステムの世界より「人間の人生」を基本にとらえることであり、僕たちはいま何のために生きるかが改めて問われているのであって、そのためには大衆化ではなくて多様な個人を尊重する社会空間の再構築が課題であり、そのことが「心の砂漠化」、「無機質な社会」からの脱出にもつながるだろう。







by stylejapan | 2014-03-16 07:59 | 地域再生
<< 個人商店の復活~まほろば純情商... 『丸屋商社之記』 >>