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作り手と使い手の垣根を取り払う
「作り手と使い手の垣根を取り払う」という考え方には、特定の地域の歴史を絡めてでも消費性向を出来るだけ効率良くかきたて地場の産品の拡販を期待する動きとは異なるコンセプトがある。

現代のように社会の隅々にまで張りめぐらされたネットワークがもたらす膨大な情報によって、ややもすると人の思考や判断が停止する中で個々人の「想い」が重要視されなくなり他者への思いやりや共感の意識を失わせる傾向があるとすれば、そこから派生する売らんがためのモノづくりは一種の「悪意」に通じると思う。

そのことはハンナ・アーレントの「悪は、判断力と責任感覚と善への意思を欠いた、ごく普通の凡庸さから生まれる」という言葉にも通じるだろう。

社会生活の安全を確保したい、そのためには治安確保のための監視システムの導入が不可欠だという「善意」から導かれる「悪意」、学校は安全な場所でなければならない、そのためには監視・管理を徹底させ不良分子は排除していくという「善意」から導かれる「悪意」、これらのように「悪意」は「善意」によって生みだされることを見落としてはならない。互いがより良く生きるということを前提にしない発想が根底にあれば、それは「悪意」に満ちた社会を形成していく。

自分たちがより良く生きたい社会を人間の「想い」の無い無機質な断片の集合体に向かわせることであれば、それは思慮を欠いた「善意」と勘違いした普通の凡庸さから生まれるものとして理解をしなければならない。

そして、このような風潮がどんどん当たり前になっていくと、社会に対する個々人の関与は希薄になり、そのことはまた個々人の側においても社会の中に自らの存在を見出しにくい状況につながっていくだろう。

「作り手と使い手の垣根を取り払う」というコンセプトには、作り手がその想いをブラッシュアップさせながらそれぞれの仕事への姿勢が共感され、そこから生みだされるモノやサービスを通じて人間同士の交流を豊かにするという流れを育むことで、社会の健全性の確保したいという考えがある。そして、想いの強さこそ、モノづくりの革新に通じると信じる。






by stylejapan | 2013-12-26 12:05 | 生活創造プロジェクト
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