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地域の内と外とのインタラクション
もしも、日本が固有の文化を大切にしながら、現代とは異なった近代化への道を歩んでいたなら、
私たちを取り巻く環境はどのような形になっていたのだろうか・・・
都会の人が地方に来れば、そんなことを考えるきっかけが生まれるかもしれない。

鎌倉時代後期に、支配者によって作られたのではない自立的、自治的な「新しい村」が近畿地方を中心に生まれる。
現在のような家が密集して存在している集落は、この時代に至るまでは無かったといわれている。
そして長い間の生活体験によって慣習が生まれ、伝統が形成されていくことになる。
学生時代のクラブ組織ですら、個人が容易にその枠組みから抜け出せない伝統が存在するが、それらとは比較にもならない長い歴史は、生活全般においてのさまざまな経験、習慣の集大成によって[伝統」、そして「日本人の心」を育んできた。
一方では、村外の都市や中央の政権と無縁なものではなく、そこには、人や物、情報を循環させるネットワークも存在した。

現代になって、戦後の復興に向けた流れの中で国土の大規模な開発が始まり、それらは村の繁栄につながるどころか、深刻な自然破壊と過疎化をもたらす結果となる。それと同時におこった大量消費時代の到来は、多くの日本人から生活者の視点での発想,日本人としてのアイデンティティを徐々に失わせていく。それ以降も進展する情報化社会の中で、私たちは本来、自分に備わっている五感を生かす場面を失ったり、自分自身をも見失いがちになったり、他人との関係がうまく築けなくなったりしていく。それらを背景にして「癒されたい」という気分が増幅され「癒しブーム」が生まれた。

しかし、山間僻地の豊かでおおらかな自然や人間が心を癒してくれるとアピールする観光のキャッチフレーズは、マス・マーケティングの論理でしかない。都会に住んでいるのも、村に住んでいるのも同じ「普通の生活者」である。このような状況を背景にして、本当の意味で人間性回復につながる活動や自然環境、生活文化の保全、魅力的なモノ作り、都市との交流による情報格差の是正が大切である。

特に一般的にも課題になっている川上思考に加えて、内向きの姿勢を改善しないことには、地方の疲弊は止まらないと思う。
by stylejapan | 2013-08-07 12:58 | 地域再生
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